「マリー・ローランサンとモード」感想

マリー・ローランサンとモード」

名古屋市美術館で開催していた「マリー・ローランサンとモード」展を鑑賞してきた。

夏休みに入る頃だったので前売をコンビニで買って行ったがめちゃくちゃ空いてた。

ずっとどこか作品に既視感を覚えていたのだが、レプリカか何かが祖母の家に飾ってあったのを思い出した。

名古屋市美術館「マリー・ローランサンとモード」展の入り口にあるパネル

入り口にある撮影可のパネル

ちょうど先日見に行ったミュージカル「ムーラン・ルージュ」とほぼ同じくらいの時期のフランス・パリで活動していた画家。

画家としてだけでなく、バレエ等の舞台の衣装や美術、インテリア等のデザインも手掛けている。

ムーラン・ルージュ」が派手で真っ赤できらびやかな装飾・虚飾に女性性を切り売りしながら金を稼ぐ世界なら、

マリー・ローランサンパステルカラーの優しい色合いやコルセットを排したゆるやかなシルエットの衣装など対象的な世界観。

とはいえいずれも「女性らしさ」とされるもの表現しているように思う。

 

また、同時代に同じパリで活躍した人の中にココ・シャネルがいる。成功の誇示を目的に当時の人気画家であったマリー・ローランサン肖像画を依頼したものの仕上がりが気に入らず、突っ返してしまうという一件からか、あまり深い親交はなかったらしい。ただ、芸術分野で常に時代の最先端で活躍していた互いのことを多少は意識していただろうという感じ。

マリー・ローランサンが描いたココ・シャネルの肖像画

マリー・ローランサンが描いたココ・シャネルの肖像画

もう少しココ・シャネルとの関係や、マリー・ローランサン自身がバイセクシャル(あるいはレズビアン)だったという事実について触れながら作品を掘り下げるのかと思ったがそこはあまり触れず、マリー・ローランサンとココ・シャネルの時代と二人の提示してきた世界観を総覧するような展示だった。

www.tokyoartbeat.com

展示を見に行く前にこの記事を読んでいてはじめて彼女のセクシュアリティを知った。また、セクシャルマイノリティの中でもとりわけ女性については作品を語る際にその事実を透明化されてきたことを知り、そのあたりについても今回の展示で触れられた上で作品の解説がなされることを期待していた。なので、期待したほどそうした解説がなかったことは残念。

牝馬など女性同性愛を意味するモチーフを使っているとまで書いているのに、彼女のセクシュアリティのあり方や作品や表現への影響とかの掘り下げがなく、逃げている、透明化していると感じてしまった。

以前、イラストレーターの内藤ルネの記事を見たときには彼がゲイであることを踏まえて作品やイラストレーターとしての半生が綴られていたのでやはり扱いに差があることは否めない。

 

ローランサンの絵は油彩画でも水彩のような淡いタッチ。グレーの背景に溶け込むような髪や、乳白色の肌に溶け込むような淡いピンクの服など。乳白色の肌の色は以前見た藤田嗣治の絵を思い起こされた。

舞台芸術にも携わっていたようだが、原案となるデザインが油彩画のタッチ同様、詳細な部分を省いて空気感を伝えるようなものだったので制作側が苦労していたらしい。

実際、作品をよく見ると目や口元など顔のパーツは細かく描かれているが、髪や服になるととても曖昧な描き方になる。以前イラストレーターの方が「イラストを見るとき、たいていは顔を一番に見るから顔さえ細かく描いてあればちゃんと描いてあるように見える」みたいなことをX(旧ツイッター)で言っていたのを思い出した。

 

サロンでピカソなど時代の先をいく画家と積極的に交流していたようで、キュビズムの影響をモロに受けている作品もあった。

数少ない女性画家として安定した地位を築くためにサロンに通って影響力のある画家と親交を深めたり、淡い色合いや曖昧な画風などムーラン・ルージュとは対象的だけれどもまた一つの「女性らしさ」のようなものを感じられる作風で居場所をつくったりしていたのかなと感じた。職場でやたらと「女性ならではの視点で」を求められるように、女性画家として居場所を守るには自身が表現したいと考える以上の「女性ならではの画風で」いる必要があったのかもしれない。

時代の寵児としてインテリアや舞台芸術など幅広く仕事が舞い込んできていた時期はピンクなどの「女性らしさ」から少し離れた色合いや画風にも手を出していたらしいが、後年人気に陰りが出るとみんなが知っているマリー・ローランサンの画風に回帰した作品を多く発表。世界恐慌などで不安定な時代に入り、人々が求めに応じるように以前よりも華やかな色合いとなっている。

いわゆる一発屋的なアーティストが10年20年経過してから過去のヒット作のセルフカバーやアンサーソングなどといってあやかろうとする姿が思い浮かんでしまった。

展示の最後にあった、人気を維持するために描いたというパステルカラーの華やかな絵画はマリー・ローランサンらしさそのもので私がよく知るマリー・ローランサンの絵画でもあったが、その作品が描かれた背景を知ると少しもの悲しくなった。

マリー・ローランサンの絵画

後期に描かれた作品

芸術家として自分の表現したいことを貫いてほしいと思う反面、多くの人が想起する固定観念上のマリー・ローランサンの絵画に惹かれる自分もいた。

「ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」感想

太田記念美術館ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」

先日、東京・帝国劇場まで「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」を見に行ったが、せっかく東京まで行くので美術展に行ってきた。

ミュージカルの感想はこちら

ebimiso-champon.hateblo.jp

ミュージカルの開演が13時、開場は12時ということで朝イチで東京に来たとしても昼には帝劇にいないといけないのであまり自由時間がない。

ということで、東京駅からあまり離れていない場所で且つ、鑑賞時間を短くするためこじんまりとした美術館の展示を見に行くこととし、太田記念美術館の展示となった。

www.ukiyoe-ota-muse.jp

闇雲に太田記念美術館を選んだわけではない。以前パラミタミュージアム川瀬巴水の新版画を見て以来、版画に対する関心が高く、ポスターの時点で日本の浮世絵とは違った色彩センスを感じて一目惚れしたところが大きい。自分自身も毎年年賀状で版画を彫っているのでなおのこと心惹かれる。

川瀬巴水についてはこちらで感想を書いている。

ebimiso-champon.hateblo.jp

太田記念美術館について

東京駅から歩いて(途中寄り道しつつ)大手町駅へ向かい、そこから明治神宮前駅へ向かえば乗換なしで行ける。駅の5番出口を出てそのまま大通り沿いに直進し、銀座千疋屋の角を右折するとすぐ。ラフォーレ原宿の裏にこじんまりとある。

開館時間の10分後くらいに到着したが、スライドトークというイベントの日だったようで、平日にもかかわらず列ができていた。

浮世絵好きのお金持ちが私財を投じてつくった美術館らしい。ヤマザキマザック美術館もそんな感じだったような。浮世絵好きらしく、展示室内は枯山水のような小さな庭が作られていたりと和風の趣のあるつくりになっている。

展示室内は撮影不可だったのでせめてポスターなり美術館の外観でも撮影しておけばよかった。

また、展示作品のグッズやポストカードの種類が少なかったのが残念。受付と会計を行う場所もかなり手狭な感じで沢山グッズを並べることも難しそうだった。気に入った作品が複数あったのだが今回のグッズの中にポストカードとして売られておらず残念。

ジャクレーの作品は横浜美術館の常設展示でいくつか見ることができるようだが、現在改装中で2024年にリニューアル予定とのこと。

ポール・ジャクレー展の感想

ポール・ジャクレーの名前はなんとなく聞いたことがあるような?というくらいだった。版画の展示が見られるらしいということでホームページを確認して、色彩鮮やかな版画に目を奪われて来館した次第。

 

ポール・ジャクレーの経歴としては、外国語教師のフランス人の父に連れられて3歳でフランスから来日。以後亡くなるまでは基本的に日本で生活。父親は所謂「お雇い外国人」だったと思われる。

同じくフランス人の母が浮世絵にハマったようで、その影響からか絵を描き始め、父の知り合いの画家から絵を学び、浮世絵の道へ。

師事していたのは琳派の流れを汲む師匠だったらしい。

 

日本での木版画や浮世絵は風景画や美人画など描くモチーフが概ね決められている。ジャクレーの時代は新版画と呼ばれる時期で、版元(木版画製作におけるプロデューサー的立ち位置)の指揮のもと絵師や彫師、摺師が共同して版画を製作するスタイルが一般的。版元が売れる作品をつくるために作品の方向性を決めてしまう。版元が浮世絵の制作総指揮を執るスタイルではジャクレーはその指揮のもと、指定された題材の絵を描くことしかできない。

その当時のジャクレーの作品はたしかに若い女性を描いた作品が多く、筆使いや色使いも一般的な浮世絵の範疇にある。

 

そこから版元を離れ、自分で自分の描きたいものを描くために、自ら彫師や摺師を指揮するスタイルで作品制作を開始したらしい。絵具や紙も上質なものを使い、自分のスタイルを理解している彫師や摺師と自分のペースで満足のいく制作ができるようになり、作品の題材や描き方も大幅に変更している。おそらく実家の太さと支援する人の多さの為せる技。

日本国内よりも南アジアや韓国、ミクロネシア地域等、日本統治下にあったアジア・太平洋地域の国々を度々訪問して長期滞在するなどし、作品制作をおこなっている。

主線をしっかり引く、影をあまりつけない、服のシワの柔らかな線など日本元来の浮世絵らしさはそのままに、ミクロネシア地域の原色に近い鮮やかな色使いは非常に目を引く。

また、空摺りという技法を多用して織柄の入った布などを表現していて、角度を変えて見ると模様が浮き上がって見える。

アジアの伝統衣装の細かい装飾や繊細な部分まで100を超える版木を使って再現していて、個人制作でないとここまでこだわり抜いた作品をつくることはできなかっただろうなと思う。

美人画や歌舞伎役者、風景などモチーフが固定されがちな浮世絵にあってジャクレーの描く老若男女を色鮮やかに描く作品はとても新鮮だった。

 

横浜美術館がリニューアルした際にはぜひジャクレーの作品を見に行ってみたい。

「ムーラン・ルージュ」感想

ミュージカル「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」感想

私が以前、卒業コンサートを見に行った元モーニング娘。加賀楓さんが出演されるということで「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」を観劇。

ムーラン・ルージュの広告やポスター等で飾られた帝国劇場前を加賀楓さんのFSKと共に撮影

帝国劇場前にて #FSKとおでかけ



加賀楓さんへの思い等はこちら…

ebimiso-champon.hateblo.jp

映画はこちら

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B019VSLFQY/ref=atv_dp_share_cu_r

 

ムーラン・ルージュについてあれこれ

フランスのパリ・モンマルトルにある赤い風車(フランス語でムーラン・ルージュというらしい)が目印のナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」を舞台に売れない作曲家と売れっ子ダンサー(高級娼婦)の恋愛を描いたミュージカル映画およびそのミュージカル作品である。

原作は映画で、1930年頃をベースにしたフィクションだが、「ムーラン・ルージュ」というナイトクラブ自体は実在しており、現在も観光名所にもなっている様子。日本の歌舞伎座のような感じだろうか。

実在するナイトクラブが舞台ということでその時代に実際に「ムーラン・ルージュ」のためにポスターを描くなど支援を行っていた画家のトゥールーズロートレックも重要な人物の1人として登場する。

ちょうど昨年頃、パリで生活した日本人画家の作品を集めた展示を見に行っていて、「ムーラン・ルージュ」が赤い風車という意味のナイトクラブだと知ったとき、似たような絵を見たような?と思ったらそれはユトリロの描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だった。こちらもパリ・モンマルトルにあり、トゥールーズロートレックも描いていた場所。現在はレストランになっているらしい。

映画版のミュージカルシーンで使われた曲は往年のヒットソングたちで、私でも知っている曲もいくつか。洋楽の知識があまりないのだがとにかく曲数が多くアレンジたっぷりに聞かせているというのは理解した。

ミュージカル化にあたり、曲数がさらに増え、マッシュアップ等のアレンジも増え、楽曲の権利関係の調整が大変だった様子。楽曲だけでなく豪奢な舞台セットにオーダーメイドの衣装等、細部にまでこだわり一切妥協せずに制作していることがチケットの価格にも反映されていた。

S席で2万円近い金額はなかなか強気だが実際見に行くと納得の金額でもある。

ムーラン・ルージュのセット。開演前や休憩中などは撮影が可能。

ムーラン・ルージュのセット

観劇日のキャスト一覧

観劇日のキャスト一覧




加賀楓さんについて…

今回のミュージカルのお目当てでもあった加賀楓さんが演じられるのはムーラン・ルージュのダンサー・ニニ。

タンゴダンサーのサンティアゴとのタンゴのシーンは圧巻。映画版では黒髪であり、激しいタンゴシーンはさながら黒鳥の雰囲気。皮肉屋で場をかき乱す様子はムーミンに出てくるリトルミイを彷彿とさせる。そういえば髪型もお団子で似ている。

モーニング娘。時代も芯はあるが剛と柔が共存するしなやかなダンスというイメージを持っていたが、今回のミュージカルにあわせてかなり身体を鍛えたのではないかと感じる。以前から加賀楓さんの背中の凛とした雰囲気が好きだったのだが、背中の開いた衣装から見える背筋が卒業コンサートで見たときよりもかなり鍛えられた感があった。

ダンスは柔軟性を求められるような振り付けが多く、やり方を間違えると腰を痛めかねないので体幹や背筋をしっかりトレーニングされたのだと思う。脚を振り上げるフレンチカンカンのダンスもカワイイ。

他のプリンシパルキャストたちよりかなり年齢が若いので、どうしても台詞回しというか声そのものに若い印象が強いが、初日から一ヶ月程経ってからの観劇だったのでかなりこなれた様子。

まぁまさかキスシーンやあそこまで男性と密着するシーンがたくさんあるとは思わなかったが(笑)どれもしっかり自分に落とし込んでいて流石といった感じ。卒業後はダンサーとしての彼女を見ることになると思っていたので演技まで見れるとは嬉しい限り。

 

ミュージカルでのニニの役どころやキャラクターが掘り下げられたり変更されたりしていて、その掘り下げられた部分に"加賀楓さんらしさ"を感じて愛しくなってしまった。楓ちゃんのこれまでの活動や人となりを多少知っているファンからすると、サティーンとのシーンはとても説得力のあるものだった。

前から5~6列目ほどの位置で見れたので卒業コンサート時よりもかなり近くで楓ちゃんの演技を見ることができて満足。

情報解禁した頃ツイッターで「まじめっちゃ頑張る」と言っていたけど本当に頑張ったんだろうなあと。ダンスがまったく他のキャストと見劣りしなくて、これから本格的にダンサーとして活躍していくんだろうなと楽しみになった。

 

映画版とミュージカル版の違いなど
  • テーマの扱い方

そもそもの映画版のストーリーは、病に冒されるヒロインと夢を追う若き青年の恋愛、そしてそこに立ちはだかる貴族の男性、障害があるほど燃え上がる恋、そしてヒロインの死というコテコテ王道(擦られすぎて一周回って新鮮かもしれない)悲しいラブストーリー。

正直ストーリー自体はあまり好みではない。

映画では「人がこの世で知る最高の幸せ、それは誰かを愛し、その人から愛されること」が何度となく出てきて、かなり恋愛至上主義的な価値観でもって愛を語る。主人公クリスチャンやトゥールーズが主張する「ボヘミアン魂」は「真実・美・自由・愛」のために正直に生きることをモットーとしているので、それをかなり恋愛に寄せて主張しているというか。

ミュージカルではメインテーマとして何度となく歌われるのはユーミンこと松任谷由実さんが訳詞を手掛けた「Your Song」。この曲では「なんて素晴らしい君のいる世界」と歌う。愛という言葉を使わずに愛を表現するというか、より広く愛を定義して多くの人にハマりやすい言葉に換えた素晴らしい訳詞だと感じた。また加賀楓さんのファンとしてもこのミュージカルを見て「なんて素晴らしい加賀楓さんのいる世界」と感じたので、客席にいる人の多くがミュージカルファンまたは役者のファンであろうと考えるとメタ的な取り方もできる詞であると感じる。(そこまで意図しているかどうかは分からないが)

まずは、加賀楓さんが演じたニニ。映画でのニニはサティーンをライバル視し、虎視眈々とトップの座を狙う存在。皮肉屋で冷笑と嘲笑を好み、天邪鬼で場をかき乱し、クリスチャンとサティーンの悲劇の原因をつくる。率直に言って結構嫌な奴であり前述したようにムーミンに出てくるリトルミイのような雰囲気。

ミュージカル版でのニニはサティーンをライバル視し、トップの座を狙う存在という設定は維持しつつも、サティーンやジドラー、ムーラン・ルージュの仲間との疑似家族的関係を感じさせる役割にもなっていた。

体調の良くないサティーンにライバルとしていつでも蹴落とすつもりはあると正々堂々表明しながらも「体を大切にして」と気遣い、「私達はシスターでしょう」と手を握ってポジティブな関係性を言葉にするところに驚いた。

シスターフッドや疑似家族(あるいはchosenfamily?)の要素を入れたのは映画公開時から現代に合わせるためか。

ムーラン・ルージュの興行主であるジドラーもミュージカル版ではかなりコミカルでお茶目なキャラクターになっていた。映画のジドラーはギリギリまでサティーンに結核の事実を伝えない。体調を心配してはいるがムーラン・ルージュの看板ダンサーとして活躍してもらうことを優先していた。ミュージカルでは早々にサティーンへ病名を告げ、ニニを代役に立てて入院させようとしていた。

映画ではあまりジドラーやニニからサティーンに対する愛情を多く感じなかったのでサティーンが「ムーラン・ルージュは家族」「家族を守らないと」という言葉にあまり説得力がなかったが、ミュージカル版ではニニやジドラーとの関係性が見直されることで説得力が増した。

ニニに関してはサンティアゴとのロマンスもありクリスチャンとサティーンのシーンでも舞台の脇で二人がなにかコミュニケーションを取っていたりするのがカワイイ…

実在する画家トゥールーズロートレックwikiなどに掲載されている実際の写真を確認すると映画版もミュージカル版もかなり見た目は本人に寄せた仕上がり。

ミュージカル版ではサティーンと幼馴染のような設定になっており、正直サティーンを理解しているのはクリスチャンよりもトゥールーズでは…という気持ちにもなる。サティーンは「クリスチャンの歌をみんなに聞いてもらいたい」という感じだったので彼の才能に惚れたということだったのかな。

幼馴染であり、サティーンの良き理解者であり、彼女に片思いをしていながらクリスチャンとサティーンの関係を応援していて、かなり良い人。

公開期間中は協賛の三菱地所関連のお店でコラボメニュー等があり、トゥールーズが描いたムーラン・ルージュのポスターの絵のポストカードがもらえる。

ムーラン・ルージュのコラボメニュー(カシスムースのケーキ)とトゥールーズ・ロートレックが描いたムーラン・ルージュのポスターのイラストのポストカード、加賀楓さんのフィギュアスタンドキーホルダー(FSK)が映った写真。丸の内オアゾ内のM&Cカフェにて。

ムーラン・ルージュのコラボメニュー
その他気になった箇所など
  • 細かいところは色々あるが、サティーンがクリスチャンのためについた嘘を信じて嫉妬と怒りに狂うクリスチャンという経緯・過程が映画版のほうがわかりやすかったように思う。
  • 映画版では高級娼婦と言われているもののサティーンはあまり男と寝ている印象がなく、「ムーラン・ルージュのみんなを守る」と言いながらも公爵と寝ることもかなり拒否していたが、ミュージカル版は娼婦としての役目も果たしている雰囲気があった。
  • 女性であるサティーンが「わたしは誰のものにもならない」とはっきり言うところも世相を反映しているように感じた。クリスチャンを愛しているから公爵の誘いに乗らない、というよりボヘミアン魂に則り、誰かのものにならないというサティーンの主体性が重視された気がする。
  • 映画版では公爵が銃を使うが、小道具としての銃の役目がクリスチャンがサティーンと心中しようとするシーンに変更されていた。アブサン(強い酒)とか、映画版でも使われていた小道具がミュージカル版では違う形で利用されていた。
  • 公爵役のKさんはだいぶ前にアニメ「BLOOD+」でEDテーマ「Brand New Map」を歌われていた方。あの曲が結構好きだったので公演後久しぶりにYou TubeでMVを見た。Kさんの公爵はかなり映画版に見た目が寄せられていて私の中での公爵のイメージに近かった。

www.youtube.com

  • クリスチャンは20代の若い青年だが、40代の井上芳雄さんの若々しさたるや…。憎悪に染まり、いわゆる闇落ち状態の演技・歌声の迫力は素晴らしい。あと歌っているときの歌詞もセリフも非常に聞き取りやすい。歌声はきれいだけど歌詞が聞き取りにくくて何を歌っているのか分からない俳優さんもいる中で、長年帝劇で主役を担う人はやはり違う。
  • 物語は悲恋だけど最後にフレンチカンカンで大盛りあがりするので「楽しかったー!」という気分で帰れる。

 

とにもかくにも素敵なミュージカルでした。2万近いお金を出して見に行って良かった。

休憩時間(25分)でトイレを済ますのがかなり難しいこと以外はとても良い体験でした。

「コーダ あいのうた」感想

「コーダ あいのうた」感想

www.amazon.co.jp

 

アカデミー賞を受賞したということでそのうち見ておきたいなと思っていた作品。

ろう者の役に実際にろう者の人を配役した映画である。アカデミー賞はそもそも労働のあり方や映画業界の健全な発展とかを目的にしているそうなので、賞の意義に沿った納得な受賞だなあと思った。

アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画芸術科学アカデミーAMPAS)による映画賞

wikipediaより

 

ろう者(耳が聞こえない人)の家族の中で唯一健聴者であるルビーとその家族の話である。

コーダ(CODA/Children of Deaf Adults)は耳が聞こえない、または聞こえにくい親のもとで育つ子どものことを言うらしい。
この映画で初めて知った言葉だった。

 

生きづらさの違い

この映画はコーダの話であり、障害者家族の生きづらさの話であり、ヤングケアラーの話でもある。
また、インターセクショナリティ(交差性)が絡む部分がある。
インターセクショナリティはwikiによると以下

インターセクショナリティとは、個人のアイデンティティが複数組み合わさることによって起こる特有の差別や抑圧を理解するための枠組みである。また、複数のアイデンティティによる特有の社会的な特権を理解するためにも使われる

「家族に難があり生きづらい」と言ってもその人の人種や世帯年収、また居住地域によっても生きづらさの程度が異なり、ある場所ではマジョリティでありつつ、またある場所ではマイノリティとなったりする。

 

ルビーの生きづらさは、

①家族のために役割を担わなくてはならないこと(ヤングケアラー)

②生活レベルが低く、人生選択が限られてしまうこと(障害者差別によるもの)

大きくこの2点になり、②については①がその原因の1つともなっている。

ろう者である家族が健常者中心に設計された社会で生活していくためには、ルビーが常に家族(障害者)と健常者社会との接点や架け橋として機能しつづけなくてはならない。手話のできる人が少ないために、常に手話通訳者としての仕事を担うこととなり、そのために労働にも積極的に加わることとなる(≒児童労働)。

また、家族はろう者であるがゆえに選択できる職業が少なく、労働対価の高い職業に就ける可能性も低い。結果、ルビーの生活や教育の水準は低くなりがちである。

また、家族内に健常者がいないため「正しい話し方」を学ぶ機会が少なく、会話やコミュニケーションにも苦労する。

ルビーの家族がルビーに頼って生活している部分はあるものの、ルビーのことを大切に思っていないわけでもない。

ただただ、健常者中心に設計された社会で効率的に生活をしようとするとルビーを頼らざるを得ない。

ルビーのそうした生き辛さがある一方で、後にルビーの彼氏となるマイルズは比較的裕福な健常者家庭のようだが、家族仲はあまり良くない。ろう者であっても家族とコミュニケーションが取れているルビーの家庭がマイルズには羨ましく見えてしまう。

「生きづらさ」には様々な種類があり、どの要素が一番辛いかということは誰にも決めることはできない。

 

慎ましい障害者である必要はない

ろう者の両親が割りと性に奔放というか、愛し合うことについて大胆であったり、手話による会話の中でもバンバン下ネタを入れていて、それをルビーに訳させていたり。
ろう者や障害者が大人しく、思慮深く、健常者が助けてあげたくなるような人である必要はないのだが、つい手を差し伸べるに当たり、そうするだけの価値があることを示してほしくなるというか、ある種の見返りを求めてしまいがちである。

実際に、駅への連絡なしで車椅子で電車に乗ろうとする等、健常者から見て度の過ぎた、ややパフォーマンスの意味を込めた抗議行動は、迷惑行為と捉えられることが多い。健常者は自分の好きなタイミングで勝手に電車に乗っているので、車椅子ユーザーがそれを試みることを迷惑行為だと言うことや、そうせざるを得ないこと(乗客に車椅子ユーザーがいる可能性を排除して駅や車両をつくっていること)自体がおかしいのだが。

障害者がその事実を以て抗議することはなんらおかしなことではない。最初から障害者等を考慮して設計していれば発生しない問題なので、健常者が「(障害者に対して)配慮してやっている」と思うことの方がズレた考えである。その事実に気づかず(あるいは健常者の落ち度でもあるので見て見ぬふりをして)、「配慮してやっている」という高ぶる感情を落ち着かせるために「慎ましく、配慮してやっても良いと思わせる障害者」を必要としてしまう健常者がいる。


ルビーに才能がなかったら

映画ではルビーに歌の才能があり、なおかつそれを見出し、サポートしたいと申し出てくれるV先生がいたことが家族関係を見直すきっかけとなった。
ルビーに他者より秀でた才能がなかったり、見出してくれる人がいなかったりした場合、彼女と家族の関係が変わることはなかったかもしれない。

この要素がなかった場合、ルビーはずっとあのまま、ヤングケアラーであり、健常者社会に家族が適応して過ごすための装置として生き続けることになっただろうし、この社会には多くのそうした人たちがいるんだろうと思う。

この映画の中では、ルビーは家族のことを理解してくれる彼氏ができたり、先生に恵まれたり、兄も健常者の恋人ができ、家族の事業もうまくいった。

でも実際そうやってあらゆることを軌道に乗せて、健常者中心の社会でサバイブできる人は少数で、物語の本筋からは外れるがそうした「普通」からこぼれ落ちていく人たちのことを意識せざるを得なかった。

 

あと関係ないけどV先生を見ているとボーカルトレーナーの菅井ちゃん(菅井秀憲さん)がチラつく・・・

福岡旅行

1泊2日 福岡旅行

今年は『今までやったことのなかったことに挑戦する』という目標を掲げていた。目標達成にあたり、挑戦したいことをリストアップしていたのだが、その1つに「自分で飛行機を予約して乗る」があったのでこの度、実行することとなった。

今回は九州初上陸となる母との旅行。私も気づけば大学時代を除くと仕事でしか行ったことがない。

費用

飛行機(ジェットスター/中部⇔福岡) 18,000円/人(だいたい)

ホテル                  8,000円/人

1日目昼ご飯               1,000円/人(だいたい)

1日目夕ご飯               1,300円/人

マリンワールド海の中道          3,400円/人

(バスチケットとセット・前売)

 

飛行機

普段出張で福岡に行く際は、ジェットスタースターフライヤーを利用している。予約はいつも上司がしてくれていたので今回始めて自分で予約。

中部国際空港福岡空港を最安値で運行しているのはジェットスター(2023年春時点)。直近の出張もジェットスターを利用している。ちなみにスターフライヤーだと1万円を超えてくる。

アプリを入れておくと予約、予約確認、チェックインのどれもがスムーズに行えるらしい。今後の出張も考えてアプリをDLしておいた。

余談だが搭乗者名を予約時に間違えたがなんとかなった。

ebimiso-champon.hateblo.jp

 

ホテル

これまで出張の際は、博多駅周辺のホテルまたは出張先近くのホテルを利用していた。そのため、何も考えずに博多駅周辺のホテルを予約していたが、その後、太宰府天満宮マリンワールド等へのアクセスを考えると天神を拠点にしたほうが利便性が良いことに気づく。

名古屋で言うところの名駅にするか栄にするかの違いと思われる。土地勘のある名古屋ならどちらでも移動方法も所要時間も見当がつくので良いのだが、母も一緒に行くため、慣れない土地で移動方法に悩んだり考えたりする不安を減らすことを優先し、天神近くでホテルを取り直した。

宿泊したのは「ホテルオリエンタルエクスプレス福岡天神」

天神駅から徒歩1分程度。

入り口にウェルカムワインがあり1杯いただいた。

母と宿泊のためツインの部屋にしたが予想より広々していた。アメニティは最低限のものはあり清潔感もあった。

朝食はホテルの外の店と提携しており、フロントでもらったチケットを渡せば専用モーニングセットが選べるようになっていた。

 

1日目・太宰府天満宮

福岡空港に到着後、空港内のシャトルバスで国際線へ移動。国際線側のシャトルバス乗降場近くに西鉄バス太宰府行きが出ているのでこれを利用。(博多行きと太宰府行きだ横並びになっていることに気づかず、博多行きの列に並んでいた。)

マナカやモバイルSuica等の交通系ICカードが使用できる。高速に乗って1時間弱で太宰府駅前に到着。駅のコインロッカーへキャリーケースを預けて参道から散策。

10年程前に一度訪れているが記憶がだいぶ薄らいでいた。

紫陽花や菖蒲が見頃で子どもたちが写生大会をしていた。九州国立博物館を目的の1つとしていたがまずは参拝から。

撫でたところが良くなるという牛の像を撫でてから本堂へ向かう。猿回しに興じる観客の声に耳を傾け、紫陽花を横目に池に架かる赤い橋を渡る。本堂は改修中らしく、仮の姿らしいが、草屋根が印象的な造り。

お参り後にお守りとおみくじを購入。

弊社グループの役員クラスの人たちの机の上に木製の鳥の置物が並んでいるのをよく見かけていたのだが、お守り売り場で似た置物やお守りを発見。太宰府で作られている鷽(ウソ)という鳥の置物だったらしい。鷽みくじというものがあったので引いたところ小吉。微妙な結果だったので結んでおいた。おみくじの入れ物はもらってきた。

参拝後は太宰府天満宮敷地内から長いエスカレーターと動く歩道を使って九州国立博物館へ行けるのでそちらへ移動。

 

1日目・九州国立博物館

この旅の大きな目的の1つでもある九州国立博物館での特別展アール・ヌーヴォーのガラス ガレとドームの自然賛歌を見に行った。


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以前からガレのガラス作品に興味があったが、なかなか近くで見る機会がなかった。昨年ヤマザキマザック美術館でガレの作品を見て、その精巧な作品と昆虫や植物の独特な描き方が改めて興味をそそり、福岡まで来ることとなった。

ドーム兄弟はガレに憧れて作品づくりを行っていたようで、植物や生き物をモチーフに選んでデザインに取り入れている部分にガレとの共通点がある。しかし、製作スタイルや細かな部分でガレとの違いを感じた。

ガレは植物学者の側面もあったためか植物も昆虫もかなり細かく表現していたり、獲物を狙う瞬間といった独特な一瞬を切り取り、デフォルメを加えて表現したり、色彩も含め調和よりもモチーフを際立たせることや難しい技術にチャレンジすることにこだわっているように感じた。ガレは製作と工房を擁する自らの会社の経営のほとんどを1人で担い、ストレスも強かったらしいし、1人で製作をするスタイルが良くも悪くも独特な世界観を生み出したように思う。またガレ亡き後、経営は変化する社会の波に乗れず窯を閉じることとなっている。

対してドーム兄弟は兄弟2人以外にも実力のある企業やデザイナーや研究者などに都度協力を仰ぎ、アドバイスを得て社会の変化に合わせて経営スタイルも変化させて今日まで続いているらしい。

作品もガレほどの強烈な特徴はなくとも、調和を感じる作風で、1つのモチーフを際立たせるというよりは1場面を切り取り映した風景画のような、1つのモチーフというよりは、1つのテーマに対して複数のモチーフを調和させて共存させているように感じる。

仮に玄関や床の間に飾ることを考えても、ガレの作品は他に合わせるインテリアが思いつかない。ドームの作品は生活に調和して寄り添う様子をイメージすることができるが、ガレの作品は1つの芸術作品で、何かと調和する、生活に馴染むことを想定していないように思う。

展覧会を見終わる頃には、万博で賞を取る、自分に追いつかんとするドーム兄弟に負けられない、会社も経営しないと…と逃げられない立場の中で作品に向き合い続けなければならなかったガレの苦悩やストレスを作品から感じていた。そうしたかんきょうが独特な尖ったセンスを引き出したのかもしれない。

 

ガレとドームの作品を見た後は常設展も見学した。歴史の教科書で見た埴輪や火焔土器縄文土器などが並んでいた。こちらも撮影OKだった。

アジアの歴史や文化に関わる展示がメインだった。

 

1日目・昼食

九州国立博物館での展示を見た後、笠乃家で昼食をとった。

www.kasanoya.com

他の店も覗いたが、日曜の昼という混雑時というのを差し引いても対応が良くなかった。(名前を書いて待っていれば良いのか、先に食券を買ったほうが良いのかシステムが不明瞭で説明がない、ちょっと大変で相手にしてられませんという態度を隠さず全体的に接客が雑すぎるなど…)

それに対し、笠乃屋は日陰で座って待てる場所があり、名前を書いて待つだけで良いというのが状況から分かるようになっていたし、店内も落ち着いていて接客も丁寧だった。

また、店内に金澤翔子の書や棟方志功の作品が展示されていたり、椅子や机に太宰府らしい梅の彫り物があったり、他にも立派なむき出しの梁や手入れされた小さな中庭など、見どころも多かった。

昼食には梅の香ひじきのおにぎりセットと「通りゃんせ」というにゅうめんを注文。


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梅の香ひじきは以前から気になっていた土産物。想像通りご飯に合っていて美味しかった。

付け合せの煮物の人参が梅の形をしていてしっかり分厚いのに中まで出汁が染みていて柔らかい。

にゅうめんは梅風味の細麺。「通りゃんせ」というメニュー名だったので天神様の細道にちなんで細麺なのだろうか?

こちらもにんじんが梅の形。器もただのラーメン丼ぶりではなく、しゃれた器。


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後から注文したお抹茶と梅が枝餅のセットの銘々皿も梅がモチーフ。お冷のおかわりを頼んだときに急須で持ってきていただいたのだが、急須を置くコースター代わりにも使っていて粋だなあと感じた。

器や陶器好きとしても楽しめる店だった。

 

1日目・ホテルと夕食

太宰府駅のコインロッカーでキャリーを回収して電車で天神まで移動し、ホテルへ向かう。

太宰府から天神までの行き方を調べているときに知ったが、西鉄福岡駅天神駅らしい(久屋大通と栄が繋がっていたり、名古屋駅と国際センターが繋がっていたりする感じだろうか)。

母がそこそこ歩き疲れていたので駅から近いホテルを選んでおいて正解だった。

天神の地下街は通路や壁がレンガ造りでなかなかおしゃれな雰囲気。雰囲気は良いが、やや暗いのと石畳風の通路のため足元が良くない。キャリーを引く程度なら良いが、車椅子などを利用する場合はかなりの振動を感じそう。

 

ホテルの部屋は思っていたよりも広々として清潔感があった。タオルやドライヤーなどは部屋にあるが、ブラシなど使い捨てのアメニティは1階のフロントで必要な分だけ持っていくスタイルで最低限のみという感じ。

ホテルで休憩した後、夕飯は天神駅内のパルコ地下のレストランフロアにある店舗を利用。天神自体が繁華街のため、ホテル周辺にも店は色々あったが、母が疲れてきていたので確実に座ってゆっくり食べれるところを選択。パルコ地下にも九州の食材を使ったレストランが入っているのを前もってリサーチしておいたので土地のものを食べるという目的は果たすことができた。

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「うみの食堂」海鮮まぶしのセット

漬けまぐろが美味しかった。アボカドとサーモンの丼ぶりを頼んでいる人が多かったように思う。

 

2日目・朝食

朝食はホテルの近くにあるタリーズコーヒーともう1店舗(名前を忘れたけどライスバーガーを提供している店だった)と提携していて、指定された時間内に行ってチケットを渡すと専用のモーニングセットメニューを提示してもらえる。

朝、身支度を整えた後、天神駅空港線改札付近のコインロッカーにキャリーケースを預け、そこから戻るかたちでタリーズコーヒーに行き、朝食をとった。イングリッシュマフィンやクロックムッシュなどがあった。平日の朝ということで客はほぼホテル利用者ばかりだった。

 

朝食後余裕を持ってバス停に行き、マリンワールドへ。

天神郵便局の前にあるバス停は、ホテルと朝食をとったタリーズコーヒーからも近く、やはりアクセス重視でこのホテルにしておいて良かった。

2日目・マリンワールド海の中道~帰宅

朝食後、天神駅からバスで1時間ほどかけてマリンワールド海の中道へ。1日目の空港から太宰府に向かうときもそうだったが、路線バスと思われるのに当たり前のように高速を利用するのに驚いた。

事前にバスとマリンワールドのセット券を買っていたので支払いにもたつかずに済んだ(後払いかとか、ICカード使えるかとか…)。

マリンワールド海の中道海浜公園と隣り合っているが入場料は別。帰りの飛行機の時間と空港までの移動時間を考えると海浜公園を楽しむ余裕はなく、断念するしかなかった。そのため事前に調べてはいないが海浜公園とのお得なセット券もあったのかもしれない。


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ハロヲタ的には気になってしまう「ももち行」

曇天だったためあまり爽快感のない写真になった。

 

マリンワールドの眼前には海が広がり、ももち浜行きの船も出ているようだった。ももち浜や福岡タワー、志賀島も気になっていたので、時間に余裕さえあれば志賀島に宿泊し、一帯を観光するというプランもいつか楽しんでみたい。

 

そもそも水族館が好きなのでかなり楽しめた。日本には鳥羽水族館とここにしかいないというラッコが…!かわいい…。f:id:ebimiso_champon:20230617221408j:image

平日ということもあり、餌やりの時間に正面から観察することができた。

福岡という土地柄か韓国や中国からと思われる観光客も多かったのと、遠足と思しき子どもたちも多くにぎやかだった。屋外の緑地を歩くペンギンもかわいい。

九州の海を再現した水槽による展示が多かった。


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イルカショーはイルカだけでなく、前座でアシカのショーもあり、さらにはコビレゴンドウというクジラもイルカと一緒にジャンプするなどしてショーに参加していた。


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コビレゴンドウは体が大きいので水しぶきの量がイルカの比ではない。尾ひれで水面を叩くだけで前方のシートへざぶざぶと水を浴びせかけていて、ここまでびしょ濡れになると予想していなかった様子の外国人観光客が慌てて退避していた。

イルカショーを好きになったきっかけは数年前に見た名古屋港水族館のイルカショーだが、鳥羽水族館鳥羽市のイルカ島を含めても名古屋港水族館のイルカショーが今のところ一番迫力があり、レベルが高いと感じている。

昼食は水族館内のレストランを利用。

飛行機の時間と空港でお土産を買うことを考慮し、13時ころにはバスで天神へ。

天神から空港へ向かい、土産を購入後無事帰宅。

 

キャリーケースに入り切らず、エコバッグでもサイズオーバーするお土産をビニール袋に入れて扱うことになってしまったので、折り畳めるキャリーオンバッグを帰宅後に楽天で購入した。

ジェットスターでの搭乗者名変更手続き

はじめて自分ひとりで飛行機を予約したがその後に予約名を間違えていたことが発覚。

フライト前に修正できたので手順を記録する。(2023年春時点)

 

予約を間違えた状況

航空会社   ジェットスター(JETSTAR)

便      国内線

予約人数   自分と同行者の2名分

予約プラン  スターター(一番安いプラン)

 

スターターはエコノミークラスの基本運賃のみという一番安いプランになる。

ここに2500円の「ちゃっかりPlus」というオプションをつけると予約内容の変更や座席指定、機内食が無料で利用でき、手荷物もある程度無料で預けることができる。

移動時間が短く、預け入れる手荷物もない(機内持ち込みサイズの荷物しかない)ため、スターター運賃に座席指定(880円/人)のみとした。

 

参考にジェットスターの運賃プラン一覧を置いておく

www.jetstar.com

 

そして、この予約をした後に届いた予約確認メールで同行者名の姓名が逆になっていたことに気づく。

スターター運賃で予約をすると原則として氏名その他の予約内容の変更に手数料が発生することになっている。そのため、予約確認画面は氏名変更ができない仕様になっている。

 

メール以外での予約の確認方法

結論を言うと予約完了後に届く確認メール・旅程表メール以外だとアプリでしか予約内容の確認ができない。

 

ウェブでの確認方法は以下。

ジェットスターのHPからマイアカウントにログイン

②「予約確認」→「次回のフライト」から確認したいフライトをクリック

スマホでもPCでも「予約確認」から「次回のフライト」に記載のある該当するフライトをクリックすると真っ白なページしか表示されない。

 

仕方がないのでジェットスターのアプリを入れて予約内容の確認をできるようにしたがアプリをDLさせるのが目的なのか?

アプリの場合は予約内容の詳細を確認でき、フライトや座席指定等の変更は可能だった。(氏名変更はできない)

 

氏名変更の方法

PCおよびスマホのウェブからログインしても予約変更ができないどころか予約内容の確認画面が表示されない上に、アプリからも予約内容の変更ができないという手詰まり状態となったのでお問い合わせへ。

必要なもの:予約番号、氏名変更をしたい本人(ぶっちゃけいなくてもできる)

   金額:結論から言うと無料で変更してもらえた

 

ジェットスターホームページへ飛ぶ

www.jetstar.com

②マイアカウントでのログインはせず、画面右上の虫眼鏡アイコンをクリック

虫眼鏡アイコンをクリックすると右側からサポートメニューが表示される。

 

③ジェッ太におまかせ!をクリック

「よくあるご質問項目」に私の疑問を解消する項目はないため、サポートメニュー下部にある「ジェッ太におまかせ!」というキツネ(たぬき?)のキャラクターのチャットボットサービスをクリックする。

チャット画面が表示されるので「搭乗者の氏名変更をしたい」と入力し、やり取りを行うと途中から人間スタッフとの人力チャットにバトンタッチされる。

 

④スタッフとのチャットで状況を説明

ジェッ太から人間スタッフに切り替わると新たにチャット画面が開く。

予約番号と予約した人の氏名を伝え、名前(今回の場合は同行者の氏名)を変更したい旨を質問にあわせて回答する。

ここで話を進めていくと「予約内容を変更したい本人でないと変更手続きはできない」と言われる。

私の場合は偶然すぐ近くにいる状況でやり取りしていたので可能だったが注意が必要である。ぶっちゃけなりすましが可能なザル確認なので気にしなくても良い。

 

⑤内容変更したい本人とスタッフでチャット

予約内容を変更したい本人と交代するともう一度、氏名と予約番号の確認が行われる。

その後、内容を誤った経緯を聞かれる。正直に「入力のときに間違えた。予約内容確認メールを見てから姓名逆で入力していたことに気がついた」ということを伝える。

(予約内容の変更に料金が発生することはわかっていたので高額だった場合はこのままでも問題ないのか確認しようと思っていた)

結果、このスタッフの方は「今回は状況を鑑みて無料で変更を行います」と言ってくださった。感謝…。

これにてチャットは終了。

変更が必要な人が近くにいたのでチャットをすぐにバトンタッチできたが、ぶっちゃけそばにいなくても予約番号と相手の氏名とか変更内容がわかっていればなりすまして変更依頼をすることは容易である。

チャットの内容はメールで自分宛てに送ることができる。言った言わないを避けるためと思われるが、こちらに送信できるということは向こうも一定期間保存しているものと思われる。

 

⑥予約内容確認メールが届く

チャット終了後に正しい内容に変更された状態で予約内容確認メールが届き、翌日には旅程表もメール配信された。

 

以上。

「17歳の瞳に映る世界」感想

「17歳の瞳に映る世界」

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09ZD76HFM/ref=atv_dp_share_cu_r

 

こちらもアマプラでの見放題が終了間近ということで視聴。未成年の予期せぬ妊娠に伴う中絶のためのロードムービーといった感じ。

タイトルにある通り、17歳の少女の目線や視線の先を意識的に映していると感じる。

 

 

まず中絶については、アメリカでは現実に問題になっているが、州によって法律が違うため、未成年が中絶をするにあたり両親の許可が必要な地域やそもそも中絶ができない地域がある。日本では乳児の遺棄がたびたび事件として取り上げられている。

 

17歳で妊娠をしたオータムの妊娠に至る経緯について、この映画でははっきり描かれない。性行為の描写もないし、最後まで相手が誰なのかも分からない。最近見た映画では「プロミシング・ヤング・ウーマン」も性行為を描写していなかった。当事者に配慮した描き方でもあるが、中絶を前にしたカウンセリングで望まない性行為による妊娠だったことが判明する。

 

オータムが最初に行く保健センターのような場所では、妊婦の意思に関わりなく産むことが前提で妊娠出産は喜びであるという認識のもとで話をしていた。

「おめでとう」

「(エコーで聞こえる胎児の拍動は)人生で一番神秘的な音」

「(子どもを)抱けば変わる」など、

妊娠すること、子どもを産むことが素晴らしいことという観念で話をし、仮にオータムが育てないにしても養子を勧めるなど「産まない」という選択肢を提示されないどころか、中絶を検討している彼女に見せたビデオのタイトルが「つらい真実」という妊娠・出産を神格化し、中絶という行為を糾弾するような映像。

「神秘的」という抽象的な言葉を用いて妊娠・出産という生化学的かつ医学的な事実を神格化し、過度な意味付けを行うのは家父長制に阿る立場の人がよくする表現だと感じた。

 

10代や若年層の中絶が問題視されやすいが統計的には40代以降の「まさか今更妊娠するとは思わなかった」という高齢妊娠からの中絶の方が多いというのを聞いたことがある。

妊婦に対峙する仕事の場合、ファーストコンタクトでその妊婦のあらゆる可能性を考慮して接しないと、とくに妊婦が若年層であるなど、周囲の助けを得にくい立場であった場合に極端な選択をとる可能性があると感じた。

その点でニューヨークの病院の医師やカウンセラーはオータムの選択を可能な限り尊重していたように思う。

虐待や事件性がないか確認することを「あなたの安全を確認したい」という婉曲的な表現にしていたり、オータムの中絶の決定意思を無条件で肯定していた。また、カウンセラーだと思うが、妊娠・中絶の経緯を本人に語らせるのではなく、質問に答える形で少しずつ状況を炙り出していき、答えられなかったり、言葉を濁したり表情を曇らせても声色や態度を変えずに傾聴する姿勢が心理的安全の構築になっているんだろうなと感じた。

ただただ無愛想で気持ちを表情に出さないオータムがカウンセラーの質問に経緯を思い起こしながら答える中で初めて涙を流し、感情を表出していて意思決定の尊重や傾聴の態度を示す重要性を感じた。

 

しかしながら望まない妊娠・中絶という体調不良と困難の中とはいえ、ただただそばにいてくれた従姉妹に対するオータムの態度はなかなかひどいものでは…と思ってしまった。

中絶の旅に付き合ってくれた上に予定外の出費を賄うために知らない男とキスをしたり、かなり献身的な従姉妹だっと思うのだが…。もうどうにもならないんだからお前が男とキスなりなんなりして金を工面しろよと言わんばかりの態度や男から金を引き出すためにボーリングに興じているのにむしろ男に気を使わせるような状況で見ている方が男にやり返されてしまわないかハラハラとした。

 

この映画はハラハラするシーンは多いのだが、とくに何もなく終わる。ただただ周囲から協力を得にくい状況の少女が中絶を達成するまでのロードムービーでしかない。

ただ、だからこそ周囲から協力を得られない17歳のオータムの瞳に世界がどのように映っているのかが刺さる。

バイト先で当たり前のように行われるセクハラ、家族の無関心、見知らぬ男からのナンパやマンスプ。

お金もなく従姉妹も待ってくれているのに宿泊場所の提供やボランティアからの支援も自ら断り、社会からの支援を受けず自ら危険な選択を取るオータムに疑問が湧いたが、自分を傷つけ続ける社会に身を置く中で、身近にその状況に怒りを表明し、助けてくれる人がいない場合、急に手を差し伸べられてもその手を掴むことはできないのかもしれない。

何度も温かい世界から切断され、裏切られ続けた無力感が、裏切られるくらいなら最初から温かい世界から切断された場所に行くという選択をさせ、「そういう場所」に漂着してしまうのだろうと考える。オータムが常にいろんな人と目を合わさず、様々な状況から目を背け、その視線の先にある虚空。子どもから全幅の信頼を得られる社会になっていないことが根本原因にある。

金を工面するために従姉妹が男とキスする間、隠れてそっと彼女の手を握ることが、ニューヨークまで着いてきてくれた彼女に対するオータムなりの感謝や答えだと感じた。

 

中絶手術を終え、ファーストフードを食べ帰路につく前、従姉妹に気分を聞かれて「疲れた」「ただただ不快」と言ったあとにようやく笑顔を見せ、車内で眠りにつくオータム(家を出る前は睡眠薬を飲んでいた)を見て、彼女がニューヨークでの数日間に出会った医師やカウンセラーなどとつながりを保ち、信頼できる大人がいることを実感し、少しでも明るい未来があればと願った。