「17歳の瞳に映る世界」感想

「17歳の瞳に映る世界」

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09ZD76HFM/ref=atv_dp_share_cu_r

 

こちらもアマプラでの見放題が終了間近ということで視聴。未成年の予期せぬ妊娠に伴う中絶のためのロードムービーといった感じ。

タイトルにある通り、17歳の少女の目線や視線の先を意識的に映していると感じる。

 

 

まず中絶については、アメリカでは現実に問題になっているが、州によって法律が違うため、未成年が中絶をするにあたり両親の許可が必要な地域やそもそも中絶ができない地域がある。日本では乳児の遺棄がたびたび事件として取り上げられている。

 

17歳で妊娠をしたオータムの妊娠に至る経緯について、この映画でははっきり描かれない。性行為の描写もないし、最後まで相手が誰なのかも分からない。最近見た映画では「プロミシング・ヤング・ウーマン」も性行為を描写していなかった。当事者に配慮した描き方でもあるが、中絶を前にしたカウンセリングで望まない性行為による妊娠だったことが判明する。

 

オータムが最初に行く保健センターのような場所では、妊婦の意思に関わりなく産むことが前提で妊娠出産は喜びであるという認識のもとで話をしていた。

「おめでとう」

「(エコーで聞こえる胎児の拍動は)人生で一番神秘的な音」

「(子どもを)抱けば変わる」など、

妊娠すること、子どもを産むことが素晴らしいことという観念で話をし、仮にオータムが育てないにしても養子を勧めるなど「産まない」という選択肢を提示されないどころか、中絶を検討している彼女に見せたビデオのタイトルが「つらい真実」という妊娠・出産を神格化し、中絶という行為を糾弾するような映像。

「神秘的」という抽象的な言葉を用いて妊娠・出産という生化学的かつ医学的な事実を神格化し、過度な意味付けを行うのは家父長制に阿る立場の人がよくする表現だと感じた。

 

10代や若年層の中絶が問題視されやすいが統計的には40代以降の「まさか今更妊娠するとは思わなかった」という高齢妊娠からの中絶の方が多いというのを聞いたことがある。

妊婦に対峙する仕事の場合、ファーストコンタクトでその妊婦のあらゆる可能性を考慮して接しないと、とくに妊婦が若年層であるなど、周囲の助けを得にくい立場であった場合に極端な選択をとる可能性があると感じた。

その点でニューヨークの病院の医師やカウンセラーはオータムの選択を可能な限り尊重していたように思う。

虐待や事件性がないか確認することを「あなたの安全を確認したい」という婉曲的な表現にしていたり、オータムの中絶の決定意思を無条件で肯定していた。また、カウンセラーだと思うが、妊娠・中絶の経緯を本人に語らせるのではなく、質問に答える形で少しずつ状況を炙り出していき、答えられなかったり、言葉を濁したり表情を曇らせても声色や態度を変えずに傾聴する姿勢が心理的安全の構築になっているんだろうなと感じた。

ただただ無愛想で気持ちを表情に出さないオータムがカウンセラーの質問に経緯を思い起こしながら答える中で初めて涙を流し、感情を表出していて意思決定の尊重や傾聴の態度を示す重要性を感じた。

 

しかしながら望まない妊娠・中絶という体調不良と困難の中とはいえ、ただただそばにいてくれた従姉妹に対するオータムの態度はなかなかひどいものでは…と思ってしまった。

中絶の旅に付き合ってくれた上に予定外の出費を賄うために知らない男とキスをしたり、かなり献身的な従姉妹だっと思うのだが…。もうどうにもならないんだからお前が男とキスなりなんなりして金を工面しろよと言わんばかりの態度や男から金を引き出すためにボーリングに興じているのにむしろ男に気を使わせるような状況で見ている方が男にやり返されてしまわないかハラハラとした。

 

この映画はハラハラするシーンは多いのだが、とくに何もなく終わる。ただただ周囲から協力を得にくい状況の少女が中絶を達成するまでのロードムービーでしかない。

ただ、だからこそ周囲から協力を得られない17歳のオータムの瞳に世界がどのように映っているのかが刺さる。

バイト先で当たり前のように行われるセクハラ、家族の無関心、見知らぬ男からのナンパやマンスプ。

お金もなく従姉妹も待ってくれているのに宿泊場所の提供やボランティアからの支援も自ら断り、社会からの支援を受けず自ら危険な選択を取るオータムに疑問が湧いたが、自分を傷つけ続ける社会に身を置く中で、身近にその状況に怒りを表明し、助けてくれる人がいない場合、急に手を差し伸べられてもその手を掴むことはできないのかもしれない。

何度も温かい世界から切断され、裏切られ続けた無力感が、裏切られるくらいなら最初から温かい世界から切断された場所に行くという選択をさせ、「そういう場所」に漂着してしまうのだろうと考える。オータムが常にいろんな人と目を合わさず、様々な状況から目を背け、その視線の先にある虚空。子どもから全幅の信頼を得られる社会になっていないことが根本原因にある。

金を工面するために従姉妹が男とキスする間、隠れてそっと彼女の手を握ることが、ニューヨークまで着いてきてくれた彼女に対するオータムなりの感謝や答えだと感じた。

 

中絶手術を終え、ファーストフードを食べ帰路につく前、従姉妹に気分を聞かれて「疲れた」「ただただ不快」と言ったあとにようやく笑顔を見せ、車内で眠りにつくオータム(家を出る前は睡眠薬を飲んでいた)を見て、彼女がニューヨークでの数日間に出会った医師やカウンセラーなどとつながりを保ち、信頼できる大人がいることを実感し、少しでも明るい未来があればと願った。