「犬王」感想

「犬王」感想

マイノリティの物語と聞いて気になっていた作品。

アマプラはこちら

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B8K2B68J/ref=atv_dp_share_cu_r

 

夜明け告げるルーのうた」や「きみと、波にのれたら」の湯浅政明監督。

夜明け告げるルーのうたは気になっていたがまだ見ていないし湯浅監督作品を鑑賞するのは初。

なんとなくのイメージとしては派手で奇抜な演出をする監督といった感じ。

 

声優は友魚(友有、友一)が森山未來、犬王がアヴちゃん(女王蜂)

監督情報以外を知らずに見て、犬王の平家物語のミュージカル部分での歌声の音域の広さや声の迫力に驚いて確認したところアヴちゃんだった。

森山未來演じる友魚の温かいけど芯の通った声も良かった。

 

また、脚本が野木亜紀子さんだった。あまりドラマを見ないので野木作品に触れたことはないが、社会問題を丁寧に脚本に取り入れる方という評価をしばしば見ていたので「犬王」鑑賞後に野木亜紀子さん脚本と知り、その評価の高さを思い知った。

 

表向きの物語は実在した能の名手「犬王」と琵琶法師・友有によるロックミュージカルテイストの「平家物語」と二人の盛衰。

ただ、これは明らかにマイノリティのプライドの物語だと読んだ。

 

平家の亡霊たちの声を「自分たちがいたことを知ってほしい」ということだと意味づけ、弔いを込めて舞台に取り入れ、亡霊たちは思いを昇華していく。

後の友魚の「俺たちはここにある」にも通じる観念で、マイノリティが掲げるプライドの根本的な観念でもある。

 

友魚は健常者として生まれ、後天的に視覚障害者となったが、犬王は生まれたときから障害者同然として生き、差別されてきた。同じマイノリティでありながら立場や生い立ち、周囲との関係の違いなどが、自身のあり方に対して二人が違う判断を下すことにつながったように思う。

後天的に視覚障害者となった友魚は健常者として当たり前に人として扱われていた自分が親を亡くし、盲目となったことで周囲からの扱いが大きく変わり、自身の存在意義や価値が毀損される経験を持っている。ただし、友魚には琵琶法師として育て、新しい能についても受け入れて自分自身を自由に表現することを許してくれる大人がいる。

対して犬王は生まれたときから家族にも忌み嫌われていたが、友魚との舞台によって存在も才能も認められ、初めて人として扱われることを知る。

 

強者から除け者にされてきた二人が、同じく強者に葬られた平家の亡霊たちの声に耳を傾け、舞台を通して「俺たちはここに有る」という1つのテーマを掲げる。亡霊の声を表現する中で自身の存在を主張するという筋書きが非常にマイノリティのプライドを掻き立てる。舞台で演奏やダンスをする友有座の仲間と思われる人たちにも四肢障害などのマイノリティと思われる人が多く描かれていた。当事者として見ていても、自身のあり方に悩み、仲間と共に「友有座」というありのままの自分を表現できる場所をつくり行動を起こしていく姿はプライドマーチにしか見えなかった。

 

友有座の舞台がまたしても将軍という時代の強者によって迫害を受けた後、友魚はそれでも「友有座」の名前を捨てず、「ここに有る」ことを訴え続けて処刑されるのに対し、舞台によって初めて人として扱われることを知った犬王は「友有座」の名を捨てて、時代の強者に阿る道を選ぶ。

犬王が選んだのは強者に求められる人間を演じることで「名誉健常者」として権利を得て社会に溶け込んでいくことだが、一時的且つ個人的な部分では得をするが根本的な解決にはならず、また「名誉健常者」としての条件を満たさなくなったとき、途端に手のひらを返される存在に過ぎない。それでもずっと差別されてきて、ようやくまともに扱われ、舞台に立てるようになった犬王には「名誉健常者」にさえなれば舞台を続けられるというのは縋りつきたい希望に映ったのだろうと思った。

無音の中「犬王」の存在が記録上あるものの一つも曲が残っていないという文章が表示されたとき、マジョリティに阿って生きることで犬王がなくしたものと平家の亡霊が「自分たちがいたことを知ってほしい」という叫びが思い出された。

 

演出部分では、当時の絵巻物のような平面的で陰影のすくない絵柄でありながら、3Dを要所要所で織り込んでいて迫力があり、「平家物語」という既存の作品をロックに仕上げる友有座そのもののように感じた。

失明した友魚が手で触れることで周囲の様子を認識する様を、水墨画のようなモヤが手で触れると晴れるというかたちで表現していたところも面白かった。

安徳天皇を祀る赤間神宮に行った際に、竜宮城のようなつくりが印象に残っていたが、作品内(「犬王」内の「平家物語」)で幼い安徳天皇が「波の下にも都がある」と言われて入水していったのを見て、安徳天皇が安らかに眠れるように竜宮城を模しているのか、と理解した。平家物語のアニメもあったのでそちらもチェックした上で再度、赤間神宮に行ってみたい。

犬王と友魚が出会う橋の上のシーンは牛若丸と弁慶を彷彿とさせ、二人の出会いが運命的なものだということが伝わった。

 

かなり直球でマイノリティのプライドがメタファーとなった作品を見ることができてよかった。