「犬王」感想

「犬王」感想

マイノリティの物語と聞いて気になっていた作品。

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夜明け告げるルーのうた」や「きみと、波にのれたら」の湯浅政明監督。

夜明け告げるルーのうたは気になっていたがまだ見ていないし湯浅監督作品を鑑賞するのは初。

なんとなくのイメージとしては派手で奇抜な演出をする監督といった感じ。

 

声優は友魚(友有、友一)が森山未來、犬王がアヴちゃん(女王蜂)

監督情報以外を知らずに見て、犬王の平家物語のミュージカル部分での歌声の音域の広さや声の迫力に驚いて確認したところアヴちゃんだった。

森山未來演じる友魚の温かいけど芯の通った声も良かった。

 

また、脚本が野木亜紀子さんだった。あまりドラマを見ないので野木作品に触れたことはないが、社会問題を丁寧に脚本に取り入れる方という評価をしばしば見ていたので「犬王」鑑賞後に野木亜紀子さん脚本と知り、その評価の高さを思い知った。

 

表向きの物語は実在した能の名手「犬王」と琵琶法師・友有によるロックミュージカルテイストの「平家物語」と二人の盛衰。

ただ、これは明らかにマイノリティのプライドの物語だと読んだ。

 

平家の亡霊たちの声を「自分たちがいたことを知ってほしい」ということだと意味づけ、弔いを込めて舞台に取り入れ、亡霊たちは思いを昇華していく。

後の友魚の「俺たちはここにある」にも通じる観念で、マイノリティが掲げるプライドの根本的な観念でもある。

 

友魚は健常者として生まれ、後天的に視覚障害者となったが、犬王は生まれたときから障害者同然として生き、差別されてきた。同じマイノリティでありながら立場や生い立ち、周囲との関係の違いなどが、自身のあり方に対して二人が違う判断を下すことにつながったように思う。

後天的に視覚障害者となった友魚は健常者として当たり前に人として扱われていた自分が親を亡くし、盲目となったことで周囲からの扱いが大きく変わり、自身の存在意義や価値が毀損される経験を持っている。ただし、友魚には琵琶法師として育て、新しい能についても受け入れて自分自身を自由に表現することを許してくれる大人がいる。

対して犬王は生まれたときから家族にも忌み嫌われていたが、友魚との舞台によって存在も才能も認められ、初めて人として扱われることを知る。

 

強者から除け者にされてきた二人が、同じく強者に葬られた平家の亡霊たちの声に耳を傾け、舞台を通して「俺たちはここに有る」という1つのテーマを掲げる。亡霊の声を表現する中で自身の存在を主張するという筋書きが非常にマイノリティのプライドを掻き立てる。舞台で演奏やダンスをする友有座の仲間と思われる人たちにも四肢障害などのマイノリティと思われる人が多く描かれていた。当事者として見ていても、自身のあり方に悩み、仲間と共に「友有座」というありのままの自分を表現できる場所をつくり行動を起こしていく姿はプライドマーチにしか見えなかった。

 

友有座の舞台がまたしても将軍という時代の強者によって迫害を受けた後、友魚はそれでも「友有座」の名前を捨てず、「ここに有る」ことを訴え続けて処刑されるのに対し、舞台によって初めて人として扱われることを知った犬王は「友有座」の名を捨てて、時代の強者に阿る道を選ぶ。

犬王が選んだのは強者に求められる人間を演じることで「名誉健常者」として権利を得て社会に溶け込んでいくことだが、一時的且つ個人的な部分では得をするが根本的な解決にはならず、また「名誉健常者」としての条件を満たさなくなったとき、途端に手のひらを返される存在に過ぎない。それでもずっと差別されてきて、ようやくまともに扱われ、舞台に立てるようになった犬王には「名誉健常者」にさえなれば舞台を続けられるというのは縋りつきたい希望に映ったのだろうと思った。

無音の中「犬王」の存在が記録上あるものの一つも曲が残っていないという文章が表示されたとき、マジョリティに阿って生きることで犬王がなくしたものと平家の亡霊が「自分たちがいたことを知ってほしい」という叫びが思い出された。

 

演出部分では、当時の絵巻物のような平面的で陰影のすくない絵柄でありながら、3Dを要所要所で織り込んでいて迫力があり、「平家物語」という既存の作品をロックに仕上げる友有座そのもののように感じた。

失明した友魚が手で触れることで周囲の様子を認識する様を、水墨画のようなモヤが手で触れると晴れるというかたちで表現していたところも面白かった。

安徳天皇を祀る赤間神宮に行った際に、竜宮城のようなつくりが印象に残っていたが、作品内(「犬王」内の「平家物語」)で幼い安徳天皇が「波の下にも都がある」と言われて入水していったのを見て、安徳天皇が安らかに眠れるように竜宮城を模しているのか、と理解した。平家物語のアニメもあったのでそちらもチェックした上で再度、赤間神宮に行ってみたい。

犬王と友魚が出会う橋の上のシーンは牛若丸と弁慶を彷彿とさせ、二人の出会いが運命的なものだということが伝わった。

 

かなり直球でマイノリティのプライドがメタファーとなった作品を見ることができてよかった。

コロナウイルス感染の記録

コロナウイルス感染の記録

とうとう感染してしまった。一時の苦しみはすぐに忘れてしまうため、二度三度と感染することもあると聞くのでそのときのための記録。

予兆

発症日の1週間ほど前から喉に違和感を覚える。

エアコンをつけっぱなしの部屋で過ごしていたり、口を開けて寝ていたりしていたのでそのときは乾燥が原因だと考えていた。お茶や水を飲めば治っていたので気にしていなかった。

 

0日目(発症日と思われる日)

出社による勤務日。

この日の朝に若干喉の痛みを覚える。

口を開けて寝ていて乾燥したのだろうと思っていたが朝の時点で部屋の湿度は60%を超えていた。

お茶を飲めば違和感は消失。

午後からのど飴(VICKS)を舐めてもお茶を飲んでも喉の違和感が消えず、咳払いを何度もし始める。

帰宅後うがいをするが違和感が消えず、夜から熱っぽさを感じ始める。

 

1日目

就寝中に脹脛を2度攣って目が覚める。筋肉痛のような症状もあり。

起床時から喉の痛みと倦怠感を覚えて体温を測ると38度。

会社の創立記念品の体温計を使用したら15秒ほどで計測できて便利だった。

食欲はあったので朝食後にロキソニンを服用して36度~37度におさまる。

ロキソニンの消炎鎮痛作用のためか脂汗が吹き出す。

後に医師に指摘されるがロキソニンは発汗により体温を下げるだけなので対症療法にしかならない上に発汗作用で脱水になりやすく、臓器に負担もかかるとのこと。

喉の痛みも熱も変わらず6時間あけながら1日でロキソニンを3回服用して就寝。

鼻が詰まって寝付きが悪かったが夜のロキソニンが効き始めると鼻がある程度通って息がしやすくなり即就寝。

 

2日目(ラゲブリオ1日目)

前日から喉の痛みを訴え始めた母親も発熱したため2人で医療機関を受診。

一旦熱が下がっていて病院では36.5度だったがインフルエンザとコロナの検査をして2人ともコロナ陽性。

基礎疾患があるためコロナの特効薬とされるラゲブリオを処方される。

1回4カプセルを朝と夜に服用。食事が取れなくても服用可能。1カプセルがなかなか大きい…。

次の服用タイミングまで2時間以上あるため帰宅後すぐの服用を勧められる。

医師からは前述のロキソニンについての注意を受け、意地でも水分を摂り、うがいをしまくることを勧められる。

味覚や嗅覚の異常はなかったが予防のための亜鉛と解熱頓服としてカロナールも処方された。

午後には熱が上がりぼんやり頭痛を感じる。

ちなみにラゲブリオは2023年9月末までは公費負担だが自費だと10万近い薬らしいのでこのタイミングで罹患しておいて良かった…ような気がする。

就寝時は37度台。水の入ったペットボトルで脇を冷やしたり、目が覚めるたびにうがいをしたりして過ごす。

 

3日目(ラゲブリオ2日目)

変な夢を見て目が覚める。

朝から37.8度。喉の痛みはあるが食欲はある。

母が食欲不振状態だったので念のため食事量はセーブした。

ゼリー飲料や前日に買ったトルティーヤ等を食べる。

ロキソニンは服用せず、ラゲブリオと亜鉛のみで過ごし、37度台が続く。

最高体温:昼寝直後のタイミングで37.7度

目の奥が痛いような眼精疲労と肩こりからくるタイプの頭痛を感じる。

就寝前には36度台をキープできるようになり、体熱感は減る。

 

4日目(ラゲブリオ3日目)

起床時に35.8度

食後のタイミングで36度後半になったがその後は35度後半~36度前半と普段の平熱をキープ。

喉の腫れは和らいだが痛みはまだある。鼻水と咳と痰が症状のメインになる。

この日から在宅で仕事を再開。

目の奥の違和感と頭痛が抜けないためロキソニンを服用。かなり改善。

倦怠感が抜けないため、コロナ特有の倦怠感かと思ったが、ここ数日、消費エネルギーも摂取エネルギーも低くなっているせいではと考え、チーズとアミノプロテインを摂取。昼食の量も増やした結果、倦怠感は劇的に改善。

5日目(ラゲブリオ4日目)

35度~36度台で安定。在宅で業務。

頭痛も改善。鼻水と咳、喉の痛みが継続。

 

6日目(ラゲブリオ5日目)

出社勤務。鼻水と咳、喉の痛みが続き、鼻声のため耳鼻科へ。

痰切りと喉の薬、咳止め薬を2週間分処方される。

コロナのためか吸入はなかった。

症状の大半は咳になる。

 

3週間目

3週間経ったがまだ咳だけ継続

薬を飲めばある程度は咳がおさまるが夜間は咳が増える。

再度咳止め薬をもらう予定。

 

第一回目のコロナ罹患時の記録は以上。

「赤と白とロイヤルブルー」感想

「赤と白とロイヤルブルー」感想

原作も読破済でアマゾンオリジナル作品として実写化すると聞いてずっと楽しみにしていた。

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原作はなかなかボリュームがあるので、それを1本の映画にするにあたっては、ある程度端折られるだろうとは思っていたが、それでもきれいにまとまっていた。

原作はここ数年の中でもかなり夢中になって読んだ作品の一つ。あまりに楽しくて続きが気になりすぎて昼休憩中に食堂で必死になって読んでいた。

 

ホワイトハウス三人組が好きだったのでアレックスの姉・ジューンが登場しないのが残念だった。その分ジューンの役割はノーラが担っている感じだった。

映像で見るノーラはお人形みたいにとてもキュートでチャーミングで原作以上に好きになった。原作のノーラははしゃいだり騒いだりもするけど、もう少し知的でインテリなイメージが強かった。実写化にあたってセリフやキャラクター性を大きく変えている感じもないし、役者(レイチェル・ヒルソン)の演技と演出によるものだと思う。

 

キャラクターの良さでいうとザハラも。

ヘンリーに対する「(メディアに)撮られたら頭を胴体からブレグジットするぞ」みたいなセリフ(字幕版)とかウィットに富んだ悪口と勢いが良かった。

メールが流出した後の深刻なはずのシーンもザハラのノリとアレックスの「ヘンリーは思い詰めると眉をしかめるのがめっちゃかわいい」とかいう惚気で割りと軽く流れていった感がある。

 

ポロの試合の後にロッカールームみたいなところでセックスするシーンも原作では前段として馬にまたがってポロをプレイするヘンリーの身体に欲情するアレックスがいたけど、セックスシーンにポロをプレイしている最中の太ももや尻のぶつかり合いを印象的に挟む演出は映像ならではの演出だなあと思った。

 

別荘でアレックスがハンモックに横たわって読んでいた本がおそらく本作の原作者ケイシー・マクイストンの二作目「明日のあなたも愛してる(原題:One Last Stop)」だった。ヘンリーの読んでいた本が分からなくてググってみたらこちらもアトウッドの「誓願」と共にブッカー賞を受賞したフェミニズム本のようで来月くらいに翻訳本が出版されるらしい。

原作と違う部分はあっても原作の意図を理解して映像化しようとしていることが伝わってきた。

 

今回の実写化には出なかったラファエル・ルナの役割(メール流出とか)をミゲルが担っていた。ラファエルが犯人だったからこそショックが大きい事件だったんだけど、少し前からあくどい奴と分かっていたミゲルが犯人だったので王道というか、勧善懲悪っぽさが出てしまった気もする。

他にもヘンリーの姉のビーが妹に、女王(ヘンリーの祖母)が国王(祖父)になっていたり。ヘンリーの母と女王とのやり取りをカットする分、わかりやすく堅物っぽいキャラクターを求めて国王(高齢男性)へ変更したのかなと思った。

アレックスの母がパワーポイントで性教育するシーンは見たかった…。

 

メールの流出~大統領選を迎えるまでの流れは原作では結構深刻でアレックスもヘンリーもすごく傷ついていて、あのあたりを見るのは辛いなあと構えていたけど、結構あっさりだったので拍子抜けした。

アレックスが堂々と演説していたシーンはとても素晴らしかった。本邦では彼の言う「たまたま好きになった人が男性で…」は都合よく取られてしまうだろうなあと感じたくらいで。

流出事件についてはメディアが初期から明確にヘンリーとアレックスを擁護する立場を取っていたのと、堅物っぽいヘンリーの祖父もゴリゴリの差別意識に基づく行動というより(それもなくはないけど)、国民の差別意識を予見してヘンリーを守るという意識が先立っているように感じたので私自身もダメージが少なかった。

流出したメールを見ているなら僕たちの愛情が深いものだとわかる、というセリフは原作を読んでいる身としては彼らが実在する様々なクィア当事者たちの文章を引用しながら愛を交わしているのを知っているので説得力があるんだけど、映画だけ見た人にはちょっと説得力がたりないのではと感じた。

たぶん引用しているメール文章自体が今回の映画には出なかった。二人の教養の高さとかも感じられて好きだったので残念。

 

全体的にクィアロマンスの趣が強くて政治性やクィアの当事者表象(辛さしんどさのようなもの)はあっさりめだったなあと思う。

でもハッピーエンドのクィアロマンスを安心して楽しめたので良かった。

ハッピーレズビアンロマンス映画も期待したい。

企業におけるパートナーシップ制度とファミリーシップ制度の策定について

企業における「パートナーシップ制度」と「ファミリーシップ制度」の策定について

企業単位で策定する福利厚生的な意味合いでの「パートナーシップ制度」および「ファミリーシップ制度」を起案し、施行しました。

地方の中小企業の中で企画して規程をつくり、施行に至るまでがなかなかハードルが高く、苦労も多かったため、もし制度の立案を考えている人がいた場合に参考になればと思い、記録します。

というか苦労したので記録しておきたい。

 

《注意》

2023年8月頃の記録です。

現時点でも同性婚についての裁判が行われている最中であり、この裁判の結果(判例)やその後の法改正等により対応すべき内容が変化する可能性があります。

 

どのように制度の必要性を訴えるか

ここが一番大きな課題であった。

結論を言うと、現状の福利厚生制度に公正さが欠けていることを針小棒大に語って導入に持ち込んだ

制度設計前の状態としては、

  • そもそも男性が9割の業界であり、旧態依然な文化が業界全体を覆っているので制度を企画提案しても反発を受ける可能性があった
  • 当事者やアライ*1の従業員から要望があったわけではない(私自身が当事者であるが、カミングアウトできる雰囲気は醸成されていないし、要望して反発を食らったり差別発言を受けたりするのが怖くてクローゼット*2状態である)

仮に反発を食らっても自分を含む性的マイノリティー当事者が最小限のダメージで済むようにするにはどういった理由付けが最適か、というところがネックで進められなかった。提案をきっかけに私自身のセクシャリティに関する質問をされたり、時期尚早だと言われる可能性を考えるだけで泡吹いて死ぬと思っていた。

導入に至った背景

従業員の子どもを対象とした福利厚生について、これまで事務担当者が把握しやすいという理由で「従業員の被扶養者の子」に限定して支給していたのだが、共働き家庭や現場の女性従業員もわずかながら増えてきたことで、子どもを持つ従業員でも扶養状況によって福利厚生の対象となる人とそうでない人が発生するようになってしまった。

さすがに公正さに欠けるのではないか、という話が持ち上がったのでここに便乗し、

「福利厚生制度の目的が日々現場で頑張っている従業員とその従業員を支えてくれている家族への労いや感謝であるなら、法的な家族関係でなくとも従業員を実質的に支えてくれている人については福利厚生制度の対象とするのが筋ではないか?」という疑義を呈するかたちで導入に持ち込んだ。

そもそも弊社は旧態依然としているおかげか「従業員は家族」「従業員を支えてくれている家族に感謝」といったことを役員はよく口にする。そこを逆手に取り、「ほぼ家族と言える状況にあって実質的に従業員をサポートしている人を蔑ろにするのは普段お話される内容とズレてませんか?」というアプローチを行った。

グループも会社もレインボーパレードに協賛するとかアライを表明するとかそういうことは一切していないが、差別的態度を明確にはしていないし、親会社はハラスメント研修で多様性に関する話をしているようだったのでアプローチ次第で導入は可能だろうという考えはあった。

導入提案時に留意した点

確実に制度を導入させるため、従業員・会社・福利厚生制度の手続きを担当する事務担当者のすべてにメリットがあるものだとして訴えた。

《従業員》

  • 利用できる福利厚生制度が増える

《会 社》

  • 従業員を本質的にサポートする人への感謝を伝えられる
  • 制度を通して多様性を受け入れる文化が醸成され、ハラスメント防止につながり、当事者である従業員が安心して業務に従事でき、能力を発揮しやすくなる
  • 上記の結果、帰属意識が高まり離職防止につながる

《担当者》

  • 制度立案に伴って手続きフローを見直すことで、事務手続きの煩雑さが減る

人権はメリット・デメリットの話では決してないが、性的マイノリティー心理的安全性が担保されているとは言えない状況で当事者の人権と安全を確実に守るために必要な手段としてメリットを訴えることとした。

とくに営利企業としては、

  • 多様性を認め合うことで当事者が能力を発揮しやすくなって生産性が上がる
  • ハラスメントが減って離職率の低減に繋がる

こういうメリットを添えると断りにくいはずなので反論も少なく、提案者が心理的ダメージを受ける可能性も減る。重ねて言うが、人権はメリット・デメリットの話ではない。提案者や制度設計に関わる人の心理的安全性は確保されるべきと考えたので、私が私を守るために行った手段にすぎない。

ハラスメント研修がしっかり行われていて、心理的安全性が確保されている場合は堂々と人権を語って導入するのが良いと思う。私もそうしたかった。

制度の概要

既に法的な夫婦や親子関係にある場合は、住民票の写し等で確認できれば今後は福利厚生制度の対象とすることにし、「パートナーシップ制度」と「ファミリーシップ制度」の対象は事実婚カップ同性カップルとした。

パートナーシップ制度

婚姻関係にない異性カップルの場合は、事実婚の制度を利用できるため、住民票の写しで「未届けの妻/夫」という記載を確認できれば社内制度上の「配偶者」として扱う。

事実婚を利用できない事情がある場合は事情を確認して除外要件とかに該当しなければパートナーシップを認める。

 

同性カップルの場合は、一定の書類で関係性(生計を一にしていること)が証明できれば社内制度上の「配偶者」として扱う。

 

同性カップルの関係性の証明については、異性間での法律婚の際に提出する書類をベースに検討。

 

(1) 自治体のパートナーシップ制度等を利用している場合

近年では自治体ごとにパートナーシップやファミリーシップ等の制度があるため、既にこうした制度を利用している場合は手続きを簡略化できるようにした。調べてみると、どの自治体も申請者に法律婚と同じような書類の提出を求めていることが多いようだったので、すでに自治体によって関係性が証明されているものとし、

自治体のパートナーシップ制度等の証明=婚姻届受理証明書

と見なすことにした。

自治体のパートナーシップ制度利用時の提出書類》

  • 申請書(社内様式)
  • 自治体のパートナーシップ制度等の証明
  • 双方の本人確認書類

 

(2) 自治体のパートナーシップ制度等を利用していない場合

私の居住する自治体もそうだが、パートナーシップ制度等の整備がない自治体もある。居住地によって制度の利用ができないということは避けたい。そのため、法律婚の際に役所に提出する書類を以下のように読み替えて会社に提出することで関係性を認定することとした。

婚姻届を出す際の書類を読み替えてパートナーシップ制度に流用。婚姻届は社内の申請書、戸籍謄本は独身の証明と読み替えた。(本人確認書類はそのまま)

婚姻届を出す際の書類を読み替えてパートナーシップ制度に流用

上記の読み替えによる書類に加えて、生活実態が婚姻関係に相当すること(生計を一にしていること)を証明する書類を提出することとした。具体的に言うと、同居していること、または第三者から関係を認められていることのいずれかを要求することにした。

法律婚の場合は、同居していなくても結婚が可能なため、公正さを保つために同居していない場合も申請書に第三者の署名があれば、周囲から婚姻に相当すると認められているものとみなした。簡単に言うと婚姻届の保証人欄のような役割。

制度運用は性善説で実施したいが、制度悪用説を唱える管理職がいることを懸念し、先回りして生活実態を確認するという内容を盛り込んだ。

自治体のパートナーシップ制度の利用がない場合の提出書類》

  • 申請書(社内様式)
  • 独身であることを証明する書類(戸籍謄本や独身証明書
  • 本人確認書類
  • 生活実態が婚姻関係に相当することを証明する書類(同居の場合は双方の住民票の写し、同居でない場合は申請書の保証人欄を記入)

また、パートナーが外国籍の場合は、出身国の独身証明(婚姻要件具備証明書)とその日本語訳の提出を求めることも規程内に明記した。

ファミリーシップ制度

パートナーシップ制度を申請していることを前提とし、パートナー関係(≒婚姻関係)を認めた上で間接的にパートナーの子と従業員の親子関係を認定する。

※法的な婚姻関係にある配偶者の連れ子を養子縁組にしていない場合はこの制度とは別に①配偶者との婚姻関係と②配偶者の実子であることの2点の確認ができれば諸制度の対象とすることとしている。

事実婚同性カップルの場合、法的な婚姻関係にないため出産当事者の実子として扱われ、法的にはシングルマザー状態となる。事実婚関係で遺伝子的に自分の子だとしても同様。

パートナーシップ制度とファミリーシップ制度の関係を表した図。従業員とパートナーの関係をパートナーシップ制度で認定した上でパートナーと子の親子関係が確認できれば間接的に従業員とパートナーの子も親子関係にあると見なし、社内制度上の「家族」として扱う。

パートナーシップ制度とファミリーシップ制度の関係

《ファミリーシップ制度の申請における提出書類》

  • 申請書(社内様式)
  • パートナーとその実子の親子関係がわかる書類(母子手帳の写し等)

パートナーシップが未届けの場合はパートナーシップ申請に必要な書類もあわせて提出する。

 

この制度によって利用できるようになる各種福利厚生制度等

これまで「配偶者」としていた部分について、各規程内に「配偶者にはパートナーシップ制度に基づき申請され、受理されたパートナーを含む」のような文言を追加し対応した。

  • 結婚祝/結婚休暇、忌引

パートナーシップ申請≒結婚として結婚祝を支給

休暇の取得も可。忌引の対象にパートナーとその家族も含めた。

  • 出産祝/出産休暇

パートナーシップ申請をしているパートナーが出産し、ファミリーシップの申請をした場合は出産祝を支給

※連れ子のいる人とパートナー関係になり、連れ子をファミリーシップ申請した場合は出産したわけではないので対象外

  • 子どもに関する祝金・休暇等

子どもを対象にした制度(子の結婚休暇等)についてはファミリーシップ申請した子も対象に含めることとした。

  • 香典料・弔慰金

弊社の場合は慶弔見舞金の中に香典料を定めている。

頭の片隅で考慮しておくこととしては、同性パートナーの場合、法的な婚姻関係がないため、基本的に相続権がない。また、遺言等で相続が行われても相続税配偶者控除は適用されない。(事実婚配偶者も相続権はないが後述の死亡退職金は配偶者と同等の扱いになる)

《家族死亡により従業員に支払う場合》

香典料はあくまで喪主に対して贈与されるものであり、故人の財産ではないので相続税の課税対象とはならない。また、贈与税においては社交上必要なものとして課税対象外。所得税においても常識の範囲内の金額であれば課税対象とはならない。

そのため、支給対象となる家族を以下に変更し、下記に該当する人が亡くなった場合に会社から香典料を出すこととした。

  • 配偶者・パートナー
  • 配偶者・パートナーの親
  • 子(ファミリーシップ制度上の子を含む)

弔慰金も遺族を慰める目的で遺族に対して贈られるものなので相続税は発生しない。また、贈与税所得税においても社交上必要なものという扱いで一般的に課税対象外。

《本人死亡により家族に支払う場合》

香典料は家族死亡時と同様ではあるが、故人となる従業員の地位や功績により、高額な香典料を支払う場合は所得税贈与税の対象となる可能性があるので支払い前に顧問弁護士や社労士等に確認を行った方が良い。

弔慰金も基本的に香典料と同じ扱い。ただし、企業から遺族を慰める目的で贈られるため高額になりやすいことから非課税枠を超えた部分について相続税が課税される。

弔慰金が非課税となる限度額は以下。

  • 業務上の事故などで死亡した場合 :故人の死亡時の給与の3年分相当額
  • 業務以外の事故などで死亡した場合:故人の死亡時の給与の半年分相当額

上記の金額を超えた場合は後述の「死亡退職金」として扱われ、相続税の課税対象となる。弔慰金と別でさらに死亡退職金の支給もある場合、受取人が同性パートナーだと配偶者控除の対象外となるため相続税が高額となることが考えられる。死亡退職金や弔慰金の意義が失われることがないよう、事前に受取人(遺族)および顧問弁護士等との調整が必要となりそう。

  • 死亡退職金

賃金規程上、従業員死亡時の退職金の支払先を遺族としていたが、配偶者またはパートナーシップ制度上のパートナーを第1位とし、第2位に労働基準法に定める遺族とした。(労働基準法における「遺族」の考え方では事実婚も配偶者と同等に扱われる。)

受取人に関する法的な縛りはないので会社ごとに自由に設定が可能。

 

死亡退職金は遺族に対して贈与されるものだが、「本人の死亡」という事由により贈与される財産なので「みなし相続財産」として扱われる。本人が生前から持っていた財産をもらったわけではないが、本人がその会社で働き、死亡したことで生まれた財産なので本人の財産を相続したとみなす、ということらしい。また、一般的な相続財産と違い、遺族間での分割にはならず、受取人の固有財産となる。

預貯金や不動産等は法定相続人が民法で規定されているが死亡退職金は規定されていないので、会社が受取人の範囲を指定できるということである。

時短勤務や時間外労働の制限等を含む育児休業に関する制度はファミリーシップ申請をしている子に対しても利用可能とした。

但し、育児休業給付金等は法令に従うことになるため、パートナーの子のために育児休業を取得しても従業員は無給の休業となってしまうので説明が必要。

判例や法改正で変化することを祈る。

  • 介護休業等制度

時短勤務や時間外労働の制限等を含む介護休業に関する制度はパートナーやその家族(親きょうだい等)、ファミリーシップ申請をしている子に対して利用可能。

但し、こちらも介護休業給付金等は法令に従うことになるため、無給の休業となってしまうので従業員への説明が必要。

 

以上の福利厚生制度が利用可能となるが、基本的には配偶者や子どもが対象となる制度については柔軟に対応する。

その他

《パートナーシップ・ファミリーシップの解消》

本人orパートナーorファミリーシップ申請をした子の死亡や、本人からの申請により解消が可能

あとは提出書類が偽造だった等で要件を満たしていなかった場合とかも解消要件に入れた。

《除外要件》以下の場合はパートナーシップ申請の対象から除外

  • 独身でない人(他の人と婚姻関係にある人)
  • 他の人とパートナーシップを申請済の人(解消手続き後に新たに申請はOK)
  • 双方が直系血族または三親等内の傍系血族の関係にないこと(養子縁組によるものであって、養子縁組する前の関係が直系血族または三親等内の傍系血族でなかった場合を除く。)

3つ目に関しては、民法に規定されている婚姻できない関係(兄弟とか)でないことを確認している。但し、養子縁組をする同性カップルもいるため、その場合は養子縁組前が親族関係でないことが分かればパートナーシップの対象とするというもの。

 

また、制度を規程にまとめてから顧問弁護士のリーガルチェックも受けた上で施行した。

 

運用方法

アウティング等を避けるために申請ルートを複数確保した。

  • (オープンリーな人向け)本人→所属長→本社
  • (クローゼットな人向け)本人→本社(電話/メール/郵送)

今後:HR系サービスで本人→本社への申請を簡便にしたい

現実的な運用としては、福利厚生制度の対象にパートナーやパートナーの子も対象になったことを告知し、福利厚生制度を利用する際にあわせてパートナーシップやファミリーシップの申請手続きを行う流れ。

 

規程内には、ハラスメントやアウティング対策のために以下の内容を記載

  • 手続きをする事務担当者や関係者は申請者の性的志向を含むプライバシーを厳守すること
  • 業務の都合で他部署に申請内容等を通知する必要がある場合は必ず本人の許可を得てからにすること
  • ハラスメントの禁止

参考にしたもの

キッコーマン労使によるSOGIに関する取り組み【男女平等委員会資料】』

下記ページに掲載の「資料5:キッコーマン労使によるSOGIに関する取り組み【男女平等委員会資料】」が最も参考になった。

制度設計にあたってのステップや税法上の考え方についての記載があり非常に勉強になった。

jfu.or.jp

『足立区パートナーシップ・ファミリーシップ制度』

パートナーの対象要件や、パートナーが外国籍の場合に求める書類の種類等、細かい事務手続き部分で参考になった。

www.city.adachi.tokyo.jp

その他、税金関係は弁護士事務所のホームページやコラム等を参考にした。

法改正で変わっていく可能性もあるので今回制度設計し、規程に起こしてはいるけど申請者がいた場合、都度社労士や弁護士に確認はする予定。

 

最後に

制度設計で奮闘している期間、同性婚夫婦別姓さえ法律で認められていればこんな手間はかからないのに…と何度も何度も思った。

国の立法不作為のせいで一部の人々が差別され、そのせいで個人の生産性が低下するだけでなく、そうした立法不作為により低下した生産性を一部の地方自治体や企業が手間と時間をかけて代替制度をつくって補填しているのが現状。代替制度の作成や手続きの手間など結果として企業の生産性を落とすことにも繋がっていると国には気づいてもらいたい。この制度をつくる時間で他の仕事もできたのだ。

それでもパートナーシップ制度とファミリーシップ制度は絶対に必要だと断言できる。1人も申請しないかもしれない。私だってパートナーがいても使うかはわからない。

それでも、この制度があることでほんのちょっぴり安心する人がいるかもしれない。

この制度を定めた規程の中にアウティングやハラスメントの禁止を明記したので当事者を守ることもできる。

使われることではなく、いまの日本ではパートナーシップやファミリーシップの制度が『ある』ということに大きな意味があると思っている。

 

頑張って自分の会社にも制度をつくろうと奮闘している人にこの拙い記事が届き、少しでも役に立ちますように。

*1:性的マイノリティーではないが当事者を理解し支援する立場の人

*2:カミングアウトをしていないことまたはカミングアウトをしていない人のこと

「マリー・ローランサンとモード」感想

マリー・ローランサンとモード」

名古屋市美術館で開催していた「マリー・ローランサンとモード」展を鑑賞してきた。

夏休みに入る頃だったので前売をコンビニで買って行ったがめちゃくちゃ空いてた。

ずっとどこか作品に既視感を覚えていたのだが、レプリカか何かが祖母の家に飾ってあったのを思い出した。

名古屋市美術館「マリー・ローランサンとモード」展の入り口にあるパネル

入り口にある撮影可のパネル

ちょうど先日見に行ったミュージカル「ムーラン・ルージュ」とほぼ同じくらいの時期のフランス・パリで活動していた画家。

画家としてだけでなく、バレエ等の舞台の衣装や美術、インテリア等のデザインも手掛けている。

ムーラン・ルージュ」が派手で真っ赤できらびやかな装飾・虚飾に女性性を切り売りしながら金を稼ぐ世界なら、

マリー・ローランサンパステルカラーの優しい色合いやコルセットを排したゆるやかなシルエットの衣装など対象的な世界観。

とはいえいずれも「女性らしさ」とされるもの表現しているように思う。

 

また、同時代に同じパリで活躍した人の中にココ・シャネルがいる。成功の誇示を目的に当時の人気画家であったマリー・ローランサン肖像画を依頼したものの仕上がりが気に入らず、突っ返してしまうという一件からか、あまり深い親交はなかったらしい。ただ、芸術分野で常に時代の最先端で活躍していた互いのことを多少は意識していただろうという感じ。

マリー・ローランサンが描いたココ・シャネルの肖像画

マリー・ローランサンが描いたココ・シャネルの肖像画

もう少しココ・シャネルとの関係や、マリー・ローランサン自身がバイセクシャル(あるいはレズビアン)だったという事実について触れながら作品を掘り下げるのかと思ったがそこはあまり触れず、マリー・ローランサンとココ・シャネルの時代と二人の提示してきた世界観を総覧するような展示だった。

www.tokyoartbeat.com

展示を見に行く前にこの記事を読んでいてはじめて彼女のセクシュアリティを知った。また、セクシャルマイノリティの中でもとりわけ女性については作品を語る際にその事実を透明化されてきたことを知り、そのあたりについても今回の展示で触れられた上で作品の解説がなされることを期待していた。なので、期待したほどそうした解説がなかったことは残念。

牝馬など女性同性愛を意味するモチーフを使っているとまで書いているのに、彼女のセクシュアリティのあり方や作品や表現への影響とかの掘り下げがなく、逃げている、透明化していると感じてしまった。

以前、イラストレーターの内藤ルネの記事を見たときには彼がゲイであることを踏まえて作品やイラストレーターとしての半生が綴られていたのでやはり扱いに差があることは否めない。

 

ローランサンの絵は油彩画でも水彩のような淡いタッチ。グレーの背景に溶け込むような髪や、乳白色の肌に溶け込むような淡いピンクの服など。乳白色の肌の色は以前見た藤田嗣治の絵を思い起こされた。

舞台芸術にも携わっていたようだが、原案となるデザインが油彩画のタッチ同様、詳細な部分を省いて空気感を伝えるようなものだったので制作側が苦労していたらしい。

実際、作品をよく見ると目や口元など顔のパーツは細かく描かれているが、髪や服になるととても曖昧な描き方になる。以前イラストレーターの方が「イラストを見るとき、たいていは顔を一番に見るから顔さえ細かく描いてあればちゃんと描いてあるように見える」みたいなことをX(旧ツイッター)で言っていたのを思い出した。

 

サロンでピカソなど時代の先をいく画家と積極的に交流していたようで、キュビズムの影響をモロに受けている作品もあった。

数少ない女性画家として安定した地位を築くためにサロンに通って影響力のある画家と親交を深めたり、淡い色合いや曖昧な画風などムーラン・ルージュとは対象的だけれどもまた一つの「女性らしさ」のようなものを感じられる作風で居場所をつくったりしていたのかなと感じた。職場でやたらと「女性ならではの視点で」を求められるように、女性画家として居場所を守るには自身が表現したいと考える以上の「女性ならではの画風で」いる必要があったのかもしれない。

時代の寵児としてインテリアや舞台芸術など幅広く仕事が舞い込んできていた時期はピンクなどの「女性らしさ」から少し離れた色合いや画風にも手を出していたらしいが、後年人気に陰りが出るとみんなが知っているマリー・ローランサンの画風に回帰した作品を多く発表。世界恐慌などで不安定な時代に入り、人々が求めに応じるように以前よりも華やかな色合いとなっている。

いわゆる一発屋的なアーティストが10年20年経過してから過去のヒット作のセルフカバーやアンサーソングなどといってあやかろうとする姿が思い浮かんでしまった。

展示の最後にあった、人気を維持するために描いたというパステルカラーの華やかな絵画はマリー・ローランサンらしさそのもので私がよく知るマリー・ローランサンの絵画でもあったが、その作品が描かれた背景を知ると少しもの悲しくなった。

マリー・ローランサンの絵画

後期に描かれた作品

芸術家として自分の表現したいことを貫いてほしいと思う反面、多くの人が想起する固定観念上のマリー・ローランサンの絵画に惹かれる自分もいた。

「ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」感想

太田記念美術館ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」

先日、東京・帝国劇場まで「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」を見に行ったが、せっかく東京まで行くので美術展に行ってきた。

ミュージカルの感想はこちら

ebimiso-champon.hateblo.jp

ミュージカルの開演が13時、開場は12時ということで朝イチで東京に来たとしても昼には帝劇にいないといけないのであまり自由時間がない。

ということで、東京駅からあまり離れていない場所で且つ、鑑賞時間を短くするためこじんまりとした美術館の展示を見に行くこととし、太田記念美術館の展示となった。

www.ukiyoe-ota-muse.jp

闇雲に太田記念美術館を選んだわけではない。以前パラミタミュージアム川瀬巴水の新版画を見て以来、版画に対する関心が高く、ポスターの時点で日本の浮世絵とは違った色彩センスを感じて一目惚れしたところが大きい。自分自身も毎年年賀状で版画を彫っているのでなおのこと心惹かれる。

川瀬巴水についてはこちらで感想を書いている。

ebimiso-champon.hateblo.jp

太田記念美術館について

東京駅から歩いて(途中寄り道しつつ)大手町駅へ向かい、そこから明治神宮前駅へ向かえば乗換なしで行ける。駅の5番出口を出てそのまま大通り沿いに直進し、銀座千疋屋の角を右折するとすぐ。ラフォーレ原宿の裏にこじんまりとある。

開館時間の10分後くらいに到着したが、スライドトークというイベントの日だったようで、平日にもかかわらず列ができていた。

浮世絵好きのお金持ちが私財を投じてつくった美術館らしい。ヤマザキマザック美術館もそんな感じだったような。浮世絵好きらしく、展示室内は枯山水のような小さな庭が作られていたりと和風の趣のあるつくりになっている。

展示室内は撮影不可だったのでせめてポスターなり美術館の外観でも撮影しておけばよかった。

また、展示作品のグッズやポストカードの種類が少なかったのが残念。受付と会計を行う場所もかなり手狭な感じで沢山グッズを並べることも難しそうだった。気に入った作品が複数あったのだが今回のグッズの中にポストカードとして売られておらず残念。

ジャクレーの作品は横浜美術館の常設展示でいくつか見ることができるようだが、現在改装中で2024年にリニューアル予定とのこと。

ポール・ジャクレー展の感想

ポール・ジャクレーの名前はなんとなく聞いたことがあるような?というくらいだった。版画の展示が見られるらしいということでホームページを確認して、色彩鮮やかな版画に目を奪われて来館した次第。

 

ポール・ジャクレーの経歴としては、外国語教師のフランス人の父に連れられて3歳でフランスから来日。以後亡くなるまでは基本的に日本で生活。父親は所謂「お雇い外国人」だったと思われる。

同じくフランス人の母が浮世絵にハマったようで、その影響からか絵を描き始め、父の知り合いの画家から絵を学び、浮世絵の道へ。

師事していたのは琳派の流れを汲む師匠だったらしい。

 

日本での木版画や浮世絵は風景画や美人画など描くモチーフが概ね決められている。ジャクレーの時代は新版画と呼ばれる時期で、版元(木版画製作におけるプロデューサー的立ち位置)の指揮のもと絵師や彫師、摺師が共同して版画を製作するスタイルが一般的。版元が売れる作品をつくるために作品の方向性を決めてしまう。版元が浮世絵の制作総指揮を執るスタイルではジャクレーはその指揮のもと、指定された題材の絵を描くことしかできない。

その当時のジャクレーの作品はたしかに若い女性を描いた作品が多く、筆使いや色使いも一般的な浮世絵の範疇にある。

 

そこから版元を離れ、自分で自分の描きたいものを描くために、自ら彫師や摺師を指揮するスタイルで作品制作を開始したらしい。絵具や紙も上質なものを使い、自分のスタイルを理解している彫師や摺師と自分のペースで満足のいく制作ができるようになり、作品の題材や描き方も大幅に変更している。おそらく実家の太さと支援する人の多さの為せる技。

日本国内よりも南アジアや韓国、ミクロネシア地域等、日本統治下にあったアジア・太平洋地域の国々を度々訪問して長期滞在するなどし、作品制作をおこなっている。

主線をしっかり引く、影をあまりつけない、服のシワの柔らかな線など日本元来の浮世絵らしさはそのままに、ミクロネシア地域の原色に近い鮮やかな色使いは非常に目を引く。

また、空摺りという技法を多用して織柄の入った布などを表現していて、角度を変えて見ると模様が浮き上がって見える。

アジアの伝統衣装の細かい装飾や繊細な部分まで100を超える版木を使って再現していて、個人制作でないとここまでこだわり抜いた作品をつくることはできなかっただろうなと思う。

美人画や歌舞伎役者、風景などモチーフが固定されがちな浮世絵にあってジャクレーの描く老若男女を色鮮やかに描く作品はとても新鮮だった。

 

横浜美術館がリニューアルした際にはぜひジャクレーの作品を見に行ってみたい。

「ムーラン・ルージュ」感想

ミュージカル「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」感想

私が以前、卒業コンサートを見に行った元モーニング娘。加賀楓さんが出演されるということで「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」を観劇。

ムーラン・ルージュの広告やポスター等で飾られた帝国劇場前を加賀楓さんのFSKと共に撮影

帝国劇場前にて #FSKとおでかけ



加賀楓さんへの思い等はこちら…

ebimiso-champon.hateblo.jp

映画はこちら

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B019VSLFQY/ref=atv_dp_share_cu_r

 

ムーラン・ルージュについてあれこれ

フランスのパリ・モンマルトルにある赤い風車(フランス語でムーラン・ルージュというらしい)が目印のナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」を舞台に売れない作曲家と売れっ子ダンサー(高級娼婦)の恋愛を描いたミュージカル映画およびそのミュージカル作品である。

原作は映画で、1930年頃をベースにしたフィクションだが、「ムーラン・ルージュ」というナイトクラブ自体は実在しており、現在も観光名所にもなっている様子。日本の歌舞伎座のような感じだろうか。

実在するナイトクラブが舞台ということでその時代に実際に「ムーラン・ルージュ」のためにポスターを描くなど支援を行っていた画家のトゥールーズロートレックも重要な人物の1人として登場する。

ちょうど昨年頃、パリで生活した日本人画家の作品を集めた展示を見に行っていて、「ムーラン・ルージュ」が赤い風車という意味のナイトクラブだと知ったとき、似たような絵を見たような?と思ったらそれはユトリロの描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だった。こちらもパリ・モンマルトルにあり、トゥールーズロートレックも描いていた場所。現在はレストランになっているらしい。

映画版のミュージカルシーンで使われた曲は往年のヒットソングたちで、私でも知っている曲もいくつか。洋楽の知識があまりないのだがとにかく曲数が多くアレンジたっぷりに聞かせているというのは理解した。

ミュージカル化にあたり、曲数がさらに増え、マッシュアップ等のアレンジも増え、楽曲の権利関係の調整が大変だった様子。楽曲だけでなく豪奢な舞台セットにオーダーメイドの衣装等、細部にまでこだわり一切妥協せずに制作していることがチケットの価格にも反映されていた。

S席で2万円近い金額はなかなか強気だが実際見に行くと納得の金額でもある。

ムーラン・ルージュのセット。開演前や休憩中などは撮影が可能。

ムーラン・ルージュのセット

観劇日のキャスト一覧

観劇日のキャスト一覧




加賀楓さんについて…

今回のミュージカルのお目当てでもあった加賀楓さんが演じられるのはムーラン・ルージュのダンサー・ニニ。

タンゴダンサーのサンティアゴとのタンゴのシーンは圧巻。映画版では黒髪であり、激しいタンゴシーンはさながら黒鳥の雰囲気。皮肉屋で場をかき乱す様子はムーミンに出てくるリトルミイを彷彿とさせる。そういえば髪型もお団子で似ている。

モーニング娘。時代も芯はあるが剛と柔が共存するしなやかなダンスというイメージを持っていたが、今回のミュージカルにあわせてかなり身体を鍛えたのではないかと感じる。以前から加賀楓さんの背中の凛とした雰囲気が好きだったのだが、背中の開いた衣装から見える背筋が卒業コンサートで見たときよりもかなり鍛えられた感があった。

ダンスは柔軟性を求められるような振り付けが多く、やり方を間違えると腰を痛めかねないので体幹や背筋をしっかりトレーニングされたのだと思う。脚を振り上げるフレンチカンカンのダンスもカワイイ。

他のプリンシパルキャストたちよりかなり年齢が若いので、どうしても台詞回しというか声そのものに若い印象が強いが、初日から一ヶ月程経ってからの観劇だったのでかなりこなれた様子。

まぁまさかキスシーンやあそこまで男性と密着するシーンがたくさんあるとは思わなかったが(笑)どれもしっかり自分に落とし込んでいて流石といった感じ。卒業後はダンサーとしての彼女を見ることになると思っていたので演技まで見れるとは嬉しい限り。

 

ミュージカルでのニニの役どころやキャラクターが掘り下げられたり変更されたりしていて、その掘り下げられた部分に"加賀楓さんらしさ"を感じて愛しくなってしまった。楓ちゃんのこれまでの活動や人となりを多少知っているファンからすると、サティーンとのシーンはとても説得力のあるものだった。

前から5~6列目ほどの位置で見れたので卒業コンサート時よりもかなり近くで楓ちゃんの演技を見ることができて満足。

情報解禁した頃ツイッターで「まじめっちゃ頑張る」と言っていたけど本当に頑張ったんだろうなあと。ダンスがまったく他のキャストと見劣りしなくて、これから本格的にダンサーとして活躍していくんだろうなと楽しみになった。

 

映画版とミュージカル版の違いなど
  • テーマの扱い方

そもそもの映画版のストーリーは、病に冒されるヒロインと夢を追う若き青年の恋愛、そしてそこに立ちはだかる貴族の男性、障害があるほど燃え上がる恋、そしてヒロインの死というコテコテ王道(擦られすぎて一周回って新鮮かもしれない)悲しいラブストーリー。

正直ストーリー自体はあまり好みではない。

映画では「人がこの世で知る最高の幸せ、それは誰かを愛し、その人から愛されること」が何度となく出てきて、かなり恋愛至上主義的な価値観でもって愛を語る。主人公クリスチャンやトゥールーズが主張する「ボヘミアン魂」は「真実・美・自由・愛」のために正直に生きることをモットーとしているので、それをかなり恋愛に寄せて主張しているというか。

ミュージカルではメインテーマとして何度となく歌われるのはユーミンこと松任谷由実さんが訳詞を手掛けた「Your Song」。この曲では「なんて素晴らしい君のいる世界」と歌う。愛という言葉を使わずに愛を表現するというか、より広く愛を定義して多くの人にハマりやすい言葉に換えた素晴らしい訳詞だと感じた。また加賀楓さんのファンとしてもこのミュージカルを見て「なんて素晴らしい加賀楓さんのいる世界」と感じたので、客席にいる人の多くがミュージカルファンまたは役者のファンであろうと考えるとメタ的な取り方もできる詞であると感じる。(そこまで意図しているかどうかは分からないが)

まずは、加賀楓さんが演じたニニ。映画でのニニはサティーンをライバル視し、虎視眈々とトップの座を狙う存在。皮肉屋で冷笑と嘲笑を好み、天邪鬼で場をかき乱し、クリスチャンとサティーンの悲劇の原因をつくる。率直に言って結構嫌な奴であり前述したようにムーミンに出てくるリトルミイのような雰囲気。

ミュージカル版でのニニはサティーンをライバル視し、トップの座を狙う存在という設定は維持しつつも、サティーンやジドラー、ムーラン・ルージュの仲間との疑似家族的関係を感じさせる役割にもなっていた。

体調の良くないサティーンにライバルとしていつでも蹴落とすつもりはあると正々堂々表明しながらも「体を大切にして」と気遣い、「私達はシスターでしょう」と手を握ってポジティブな関係性を言葉にするところに驚いた。

シスターフッドや疑似家族(あるいはchosenfamily?)の要素を入れたのは映画公開時から現代に合わせるためか。

ムーラン・ルージュの興行主であるジドラーもミュージカル版ではかなりコミカルでお茶目なキャラクターになっていた。映画のジドラーはギリギリまでサティーンに結核の事実を伝えない。体調を心配してはいるがムーラン・ルージュの看板ダンサーとして活躍してもらうことを優先していた。ミュージカルでは早々にサティーンへ病名を告げ、ニニを代役に立てて入院させようとしていた。

映画ではあまりジドラーやニニからサティーンに対する愛情を多く感じなかったのでサティーンが「ムーラン・ルージュは家族」「家族を守らないと」という言葉にあまり説得力がなかったが、ミュージカル版ではニニやジドラーとの関係性が見直されることで説得力が増した。

ニニに関してはサンティアゴとのロマンスもありクリスチャンとサティーンのシーンでも舞台の脇で二人がなにかコミュニケーションを取っていたりするのがカワイイ…

実在する画家トゥールーズロートレックwikiなどに掲載されている実際の写真を確認すると映画版もミュージカル版もかなり見た目は本人に寄せた仕上がり。

ミュージカル版ではサティーンと幼馴染のような設定になっており、正直サティーンを理解しているのはクリスチャンよりもトゥールーズでは…という気持ちにもなる。サティーンは「クリスチャンの歌をみんなに聞いてもらいたい」という感じだったので彼の才能に惚れたということだったのかな。

幼馴染であり、サティーンの良き理解者であり、彼女に片思いをしていながらクリスチャンとサティーンの関係を応援していて、かなり良い人。

公開期間中は協賛の三菱地所関連のお店でコラボメニュー等があり、トゥールーズが描いたムーラン・ルージュのポスターの絵のポストカードがもらえる。

ムーラン・ルージュのコラボメニュー(カシスムースのケーキ)とトゥールーズ・ロートレックが描いたムーラン・ルージュのポスターのイラストのポストカード、加賀楓さんのフィギュアスタンドキーホルダー(FSK)が映った写真。丸の内オアゾ内のM&Cカフェにて。

ムーラン・ルージュのコラボメニュー
その他気になった箇所など
  • 細かいところは色々あるが、サティーンがクリスチャンのためについた嘘を信じて嫉妬と怒りに狂うクリスチャンという経緯・過程が映画版のほうがわかりやすかったように思う。
  • 映画版では高級娼婦と言われているもののサティーンはあまり男と寝ている印象がなく、「ムーラン・ルージュのみんなを守る」と言いながらも公爵と寝ることもかなり拒否していたが、ミュージカル版は娼婦としての役目も果たしている雰囲気があった。
  • 女性であるサティーンが「わたしは誰のものにもならない」とはっきり言うところも世相を反映しているように感じた。クリスチャンを愛しているから公爵の誘いに乗らない、というよりボヘミアン魂に則り、誰かのものにならないというサティーンの主体性が重視された気がする。
  • 映画版では公爵が銃を使うが、小道具としての銃の役目がクリスチャンがサティーンと心中しようとするシーンに変更されていた。アブサン(強い酒)とか、映画版でも使われていた小道具がミュージカル版では違う形で利用されていた。
  • 公爵役のKさんはだいぶ前にアニメ「BLOOD+」でEDテーマ「Brand New Map」を歌われていた方。あの曲が結構好きだったので公演後久しぶりにYou TubeでMVを見た。Kさんの公爵はかなり映画版に見た目が寄せられていて私の中での公爵のイメージに近かった。

www.youtube.com

  • クリスチャンは20代の若い青年だが、40代の井上芳雄さんの若々しさたるや…。憎悪に染まり、いわゆる闇落ち状態の演技・歌声の迫力は素晴らしい。あと歌っているときの歌詞もセリフも非常に聞き取りやすい。歌声はきれいだけど歌詞が聞き取りにくくて何を歌っているのか分からない俳優さんもいる中で、長年帝劇で主役を担う人はやはり違う。
  • 物語は悲恋だけど最後にフレンチカンカンで大盛りあがりするので「楽しかったー!」という気分で帰れる。

 

とにもかくにも素敵なミュージカルでした。2万近いお金を出して見に行って良かった。

休憩時間(25分)でトイレを済ますのがかなり難しいこと以外はとても良い体験でした。