「プロミシング・ヤング・ウーマン」感想

映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」を見ました。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09JL986RX/ref=atv_dp_share_cu_r

 

見よう見ようと思っていながらとうとうアマプラ配信期間が終わりそうということで慌てて見た。

この映画は性被害者の友人による復讐劇であるが、性被害に関する映画でいうと「ジェニーの記憶」を以前に見ている。こちらは性被害当事者の物語である。

どちらも被害シーンに丁寧に配慮をしていることが伝わるものの、自身の被害の記憶がぶり返されるし苦しくてふさぎ込みそうになる。スカッとすべて気持ちよく解決するわけでもないので当事者は本当に気持ちに余裕があり心身の健康状態の良いときに視聴してもらいたい。

ただ、「ジェニーの記憶」は被害にあうシーンが描かれているが、「プロミシング・ヤング・ウーマン」では音声やセリフでの状況説明はあるが明確に「そういうシーン」はなく、性被害当事者のニーナは名前でしか登場しない。かなり当事者に配慮した演出にはなっている。

 

タイトルの「プロミシング・ヤング・ウーマン」というのは「将来有望な若い女性」という意味だそう。成績優秀な医大生として将来が約束されていた主人公キャシーとその友人ニーナのことを指すと思われる。

 

自身の性被害を自分自身で「なかったこと」にしてきたこと

結局「なかったこと」には出来ず、いまだ苦しさを感じてしまうこと

私自身が女性として生活する中で直面したセクハラや性差別的な現実を内面化し、そうした現実を固定化させることに寄与してきてしまったこと

それを断ち切りたい思いでせめて現在働いているこの男性優位な業種のこの会社の中だけでも変えていきたいと感じていること

そうした事実から私自身がこの物語を当事者に限りなく近い気持ちで見ていた。

そのため当事者としての苦しみを感じてしまった部分もあるものの、正しさに心が暴れたり、抗うことに疲れ逃避したりを繰り返しながらも、立ち向かおうと行動を起こすキャシーが愛しいと感じたし、キャシーを愛しいと感じることで当事者に近い自分の抗う今を大切に思えた。

 

被害の話において誰もが当事者になるか、愛する人(≒自身と同一視する立場の人)の現実となると途端に見方が変わる。

身にふりかからない限り分からない、あるいは分かろうとしない。大学教授と娘の関係が非常にわかりやすかった。相手が誰かにとっての何か大切なもの(娘であるとか、妻であるとか)であるに関わらず、人権も尊厳を大切にされなければならないが、自分の大切な「もの」に置き換えられない限り分からない。自分の娘に言われたら腹が立つ、上司の娘には言えない、でも他人の娘には平気でそういうことをする。

 

「あなた(性加害者・アル)にこそ彼女(ニーナ)の名前がついて回るべき」

現実でも性被害を告発すると、ネットニュースのサムネも被害者の写真を使っていることが多い。性被害の事実と被害女性の名前がひも付き、そこに加害者の名前も金魚のフンが如くつきまとう。本来は加害者(アル)にニーナの名前が付いて回り、アルが罪に苛まれなければならなかった。

 

キャシーは一貫してニーナのことを思い続け、記憶し、守ってやれなかったことを贖罪し続けている。当然これは加害者がすべきことで、キャシーの復讐の目的はこの「記憶」と「贖罪」であると思う。

 

記憶と贖罪については以下の記事にあるコメントを見てああ確かに、と感じたので引用しておく。

www.tbsradio.jp

「同性による加害や、過去の自分は消せないけれど、記憶と贖罪をし続けるべき、という基本をきちんと描いているのも、とても良かったです」

 

「記憶」と「贖罪」を与えるためにはニーナと彼女に起きたことを忘れ、贖罪の意思など毛頭ない人たちに対して、

①事件を思い出させ

②自身が同様の事件の被害者の立場(≒ニーナと同じ立場)になること

が重要である。

つまり「記憶」と「贖罪」という目的のために、相手に当事者性が生まれる手段を用いている。ただしその方法は、泥酔したふりをし、お持ち帰り男たちに冷や水を浴びせるという自身を囮にするような自己破滅的なやり方でもあった。

自分自身が事件の当事者でこれ以上自分は傷つかない、という破滅的な考えもあるのだろうと感じる。私自身がそこまで思い詰めてはいないが、自分自身に適用されなくてもこれからの世代のためにせめて社内の性差別の状況を変えたいという、良くいえば奉仕精神、悪く言えば自己犠牲精神によってそうした行動を取っている。

行動を起こすとき否が応でも被害の記憶を何度も再生してしまう。それでも被害が起こり得ない仕組みをつくることで本質的に「これ以上自分が傷つかない現実」を作り出そうとしているのだが、被害を何度も思い出すという時点で自傷行為でもあり、被害が起こり得ない仕組みをつくること、そのための努力と行動それ自体は自身を慰撫する行動でもあると感じている。

キャシーのやり方が正しいか正しくないかで言えば「正しくはない」。ただ、自分をいくらか犠牲にしても正してやりたいと当事者が感じてしまう心理について、キャシーの目線でこの物語を見ていくことで、これまで現実に当事者ではなかった人も感じられるのではないかと思う。

そして、現実で性被害に対し、被害者保護のための活動をしている人の大半が性被害当事者でもある。結局は現実を変えるために行動をしているのはキャシーやニーナのような被害者ばかりだ。

 

将来有望な男性の未来を守るためには犯罪すら見て見ぬふりをするのに、将来有望な女性の被害と未来を軽視する社会への皮肉も込めてこの「プロミシング・ヤング・ウーマン(将来有望な女性)」というタイトルなんだろうか。

アルがキャシーを殺害した後に、友人と悪しき秘密を共有し隠蔽するまでを美しい男同士の友情のように演出しているのも皮肉だった。

 

 

被害者の自業自得だ、

スキを見せるのが悪い、

冷笑、

罪なき傍観者、

あの頃はガキだったからしょうがない、

セリフやキャストの態度1つ1つに被害者の口をふさぎ、封じ込める現実を思い起こされた。当事者になったことがある人でも他者の事件に関して被害者に疑義の目や、被害の告白を疑うような視線を向けたことがなかったか、目をそらして沈黙してこなかったか、と。すべての人間への問いかけを行っている作品でもある。

 

1つ気になったのは弁護士をゆるしたこと。

弁護士は犯罪者たちの犯罪隠蔽に加担し、被害者を脅し、セカンドレイプを行ってきた正しく加害者の1人である。

キャシーが復讐しようと訪れたときには、弁護士はニーナのことを記憶し、贖罪の意思も持っていて事務所も畳んでいる。キャシーの目的とする「記憶」と「贖罪」を果たしているが、簡単に許せてしまって良いのかと。

本当に許すという判断を下せるのはニーナであり、「許して欲しい」という言葉に簡単に頷く姿をこうした作品に見せてよいのか、と疑問に感じた。悪しき弁護士として描け、ということではなく、反省していても許されるとは限らない、一生背負えというメッセージを明確に見せたほうが良かったのではないかと。

 

自分でも答えが出せていないのが、記憶と贖罪の意思を持ちながら自分自身が幸せになろうとすることのバランスの取り方。またそれはできるものなのか。

キャシーはライアンとの出会いがニーナを「忘れて」自分だけの幸せを掴むきっかけになったものの、同時にニーナの事件を精算せざるを得なくなってしまった。キャシーが一般的に幸せと捉えられる行動に進むことを周囲は歓迎するが、それは同時にニーナとその事件を「記憶」するどころか忘れることを歓迎しているようでもある。

「記憶」と「贖罪」を願い続けながら、一方で幸せになろうとすると「忘却」を歓迎されるという状況が事件を精算しなければ自分が幸せになる道はないという理解に繋がり、最後の捨て身の行動になったのだと思う。

本来は加害者が断罪され、加害者が被害を記憶し、贖罪し続けることで被害者とその周囲の人達は自分の幸せのための行動を起こせる。しかし現実では将来有望な男性の未来を守るために加害者は守られ、甘やかされる。

加害者が記憶と贖罪を行わないせいで、被害者が記憶と贖罪を促すための行動を取り続けなければならないこの社会で一度でも被害にあった人が幸せになる日は来ないという絶望を感じる。あと何人被害にあい、命を落とせば現実は変わっていくのだろう。

「展覧会 岡本太郎」と「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」に行きました。

「展覧会 岡本太郎

こちらは愛知県美術館で開催していたもの。

大変な混雑だった。

会期終了が近かったことと、知名度のある作家であること、数日前に展示されていたミニサイズの太陽の塔を殴って破壊したニュースでさらに話題になっていたことが原因と考えられる。

個人的にはすごく興味を惹かれていたわけではなく、「芸術は爆発だ」と「太陽の塔」くらいしか知らなかった。芸術一筋の変わった人という認識だった。

作品は抽象的ではあるが色使いや作品の雰囲気に一貫性がある。好みの色使いというわけではなかったのでグッズは太陽の塔のスケッチのステッカー1枚のみ。

あれは割と気に入っている。

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岡本太郎自身が作品は公開されること(誰かに見られること)に意味があると捉えていたからか基本的にどれも撮影可となっていた。常にそこかしこでシャッターの音が聞こえた。

三原色に黒という色の使い方を多用していた。
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↑非常に既視感を覚えて写真に撮ったのだが、「ヒプノシスマイク」のロゴを彷彿とさせるのだと後から気づいた。ツイッターで「岡本太郎 ヒプノシスマイク」で検索したがあまり言及している人はいなかった。

 

岡本太郎は「対極主義」という考えを持っていたらしく、無機物と有機物、静と動、歯車(工業製品)と農作物、といった対照的なモチーフを共存させる作品を多く描いていた。

このあたりの作品に何か訴えかけるものや自分の中に感じるものはあるが、うまく言語化できていない。多様性というか、「迎合しない」が「否定もしない」という感覚を抱いた。これもまた対極的な感想だなと思う。海外生活も長かったようなので日本の調和を尊ぶ、ともすれば同調圧力の強い社会のあり方にたいする提言もあったのかもしれない。

疑問を抱き続けること、感じた違和感を無視しないこと、考え続けること、現状で良しとするな、というメッセージをどの作品からも感じた。

「芸術は心地よくあってはいけない」という岡本の言葉もあったが、場に馴染まない、心地よくない作品を見ることで、見た人が自らその違和感から自分が無視してきた「何か」に対して想起するきっかけを与えているのかもしれないと思った。

異質な作品をつくることで思考しろ、流されるなと訴えいているような。

 

岡本は芸術を自分の思想を伝える手段として捉えていたと感じた。伝えるためには見てもらわなければならないので、作品が公開されない状態になることに岡本が危機感を覚えていたというのも、公共物のデザインに注力していたというのも対話の手段として芸術を捉えていたことに通じるような気がする。

多くの人に芸術家であれ、意思を見せろ、挑戦し続けろ、と、とにかく訴えかけているところがまるで企業の行動指針のようでもあった。

個人の体験や感情、内発するものを表現し、そこから他者にも行動を促そうとしているところにアート思考を感じる部分もある。

 

川瀬巴水 旅と郷愁の風景」

こちらは三重県にあるパラミタミュージアムで開催されていた。

何気によく気になる展示を行っている。ちなみに3枚分の金額で4枚つづりの回数券(有効期限なし)が買えるので今回はこちらを購入。春からは棟方志功の展示もあるようでそれも見に行きたい。

 

自分自身、年賀状は毎年版画にしていることもあり、ポスターの美麗な版画を見て興味を惹かれて見に来たのだが、そもそも浮世絵の製作工程の認識が乏しく初めて知ることも多かった。f:id:ebimiso_champon:20230325214252j:image

撮影できたのは入り口の看板のみだった。

 

浮世絵の作成工程についての認識が乏しかったのだが、浮世絵というのは絵師・彫師・摺市による完全分業制で製作されているらしい。つまりチーム作品である。

浮世絵師として葛飾北斎歌川広重らが有名だが彼らは「絵師」に該当する。てっきり彼らが絵を描き、それをもとに版木を彫って…という作業をしているのだと思っていた。(全部1人でやっていたらあの作品数はまず無理なのだが…)

版元というプロデューサーがおり、絵師が浮世絵の完成図としての絵を描き、それをもとに彫師が版木を彫り、摺市が着色して紙に刷って作品ができあがる。広重や巴水らは絵師であって彫師や摺師ではないのでそのあたりの仕事はしていないらしい。

商品としての作品の出来に大きく貢献すると思われる彫師や摺師の存在感は薄く、作品の元絵を描いた人(絵師)ばかりが高く評価されるのは楽曲制作はしていないのにボーカルばかりが目立って評価されるバンドのようだなと感じた。

川瀬巴水の場合は版元となった渡邊とタッグを組んで制作を行っていて、色や表現にもこだわっていたようなので、絵師でありながらプロデューサー側でもあったと思われる。

 

川瀬巴水と版元の渡邊は浮世絵が廃れていた時代に2人で再度光を当てようと「新版画」として作品を発表し、「浮世絵」の復興に取り組んでいたらしい。ただの美人画にはせず、芸術手法の1つとして版画を定着させる目論見があったのかなと思う。実際美人画はまったくなく、基本的には巴水が旅に出て風景をスケッチをし、自宅に戻ってからスケッチを元に絵を描いて作品にしているので展覧会タイトルのように「旅と郷愁の風景」である。

巴水の作品はコントラストがはっきりしていて、色と光が印象的な作品が多いと感じた。夏の強い日差しや、しんしんと降る雪の中の景色とか、印象的なシーンをうまく切り取っている。

一枚に使われている色の数があまり多くないように感じたので、色数を絞ることで使われている色がとくに印象的に映る作品に仕上げていたのかなと素人考え。

日本画的なモチーフはありながら、構図や色使いは洋画を学んでいたらしいのでそのエッセンスも入っていたように思う。旅先での写実的なスケッチを元に絵を描いていたこともあり、浮世絵のような極端に大胆な構図は少なかった。


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購入したポストカード。

稚拙な感想だが、ただただオシャレだなあと思う、センスのある色使いで最近のアニメ的でもあると思う。雪景色の作品が美しくてポストカードを購入。夏の日差しの中、海に船を出しているところを描いたものもあったがポストカードにはなっていなかった。

部屋に飾ることを考えたら春らしい作品も買っておけばよかったと後から思った。

「アイカツ! 10th Story ~未来へのStarway~」感想

アイカツ! 10th Story ~未来へのStarway~」

 

アイカツも気づけば10周年。なんとなくで見始めて、ライブシーンのCGも当初はプリティーシリーズに遅れを取る状態だったのがどんどん進化していき、楽曲もバラエティ豊富に。

アイカツを見始めた当時、社会人だった私も時の流れに驚くばかり。たしか社会人なりたての頃だったような記憶。

劇場に向かう途中、前を歩く20歳前後の女性が藤堂ユリカちゃんの髪型でおなじみの縦ロールのツインテールにしていて、隣を歩くご友人と思しき女性と、どのブランドが好きだった、あのカードで一緒に遊んだね、あのカード交換したよね、と思い出を語っていて微笑ましかった。この映画はいちごちゃんたちに憧れて、元気をもらっていたあの頃の少女たちに向けて、これからも頑張ろうねというメッセージを込めていたのかなと思う。

なお、劇場に入り席に着くと私の周囲はアイカツおじさんばかりであった。

 

感想

グループからの卒業、引退ではないものの、いちごちゃんたちは実質的な事務所に近い「スターライト学園」を卒業する。スターライト学園は中学と高校のみで大学はなく、仕事はスターライト学園が引き続きサポートしてくれるらしい。卒業したアイドルたちはマネジメント業務だけ学園に委託するんだろうか。

さて、いちごちゃんも言うように、アイドルでなくても自分自身の未来について皆が一人ずつ考えなくてはならないときは来る。

先日、私の大好きなアイドル加賀楓さんもモーニング娘。から卒業され、次の道へ歩き始めた。

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加賀さんも自分のやりたいことを見つけて、進みたい道のために卒業を選んだ。

誰しもいつかは人生をどう歩んでいくのかを考えて、挑戦したり今と違う道を選ぶことがある。もしかしたら、スターライト学園から卒業する子の中にはアイドルという道から違う道を選んだ子もいたのかもしれない。

織姫学園長も言っていたが、進路とは自分の気持ちに正直に道を選べるか、その選択に納得できるかが重要。とはいえ、周囲の言葉や選択肢に左右されたり、心が揺らいだりしてしまうもの。

今回の映画では、私の大好きな霧矢あおいちゃんは将来進みたい道のために大学進学と留学を決めた。

自分の好きなこと、やりたいことを認識して、既にそのための行動をはじめていたあおいちゃんが、さらに踏み込んで、その道を自信を持って歩いて行くために進学・留学を選び、しっかり準備を進めていた。私の憧れる霧矢あおいちゃんそのものだった。

あおいちゃんから「話したいことがある」と言われたときに、いちごちゃんと蘭も「聞くよ、いつでもどんなことでも」という風に返していた。あおいちゃんが自分の進みたい道を迷いなく選び、チャレンジする決心ができたのは、あおいちゃん自身がこれまで努力してきた自分を信じられていること以外に、いつでもどんな話でも耳を傾けてくれて、応援してくれる、肯定してくれる仲間がいることが大きいと思う。映画を通してスターライト学園の仲間たちの信頼関係を言葉や態度の端々から感じることができた。

 

映画の中で繰り返し出てきた「想像もしない未来」という言葉。

まともに歌もダンスもできなかったあかりちゃんが、いちごちゃんとユニットを組んで全国ツアーをするなんて、人気モデルとして地位を確立しつつあった蘭が女優を目指すなんて、誰も想像していなかった。

 

「想像もしない未来があるはずだ」

想像もしない未来をつくりあげるにはチャレンジが不可欠だと思う。つまり、勇気を出して新しいことにチャレンジできるはずだ、ということでもある。「チャレンジしよう」とは言わない。それを決断するのはあくまで自分自身だから。でもきっとチャレンジできるよ、と肯定・応援する言葉だ。

 

卒業ライブでは、いちごちゃんがMCで「みんな嬉しいことも悲しいことも色々あると思う。でも私も君も”ここまでは来られた”。だから明日からも大丈夫。また頑張れる(意訳)」という話をしていた。

マイノリティがお互いを称え合い、「今日まで生き延びてきた」自分たちを誇りに思おうという文化があるが、そのマインドを感じた言葉でもあった。

アイドルのコンサートに行く予定が立ったとき、この日のために頑張ろうと奮い立たせて辛い仕事も乗り越えようとするときがある。いちごちゃんは、一人ひとりが抱える日常とそこで頑張る私たちを肯定して、さらに明日からもまた嬉しいこと以外に辛いこと悲しいこともあるかもしれない、でも今日、ここまでは来られた。今日ここまで頑張ってこられた私たちなら、きっと明日からも大丈夫、とそっと抱きしめて、そして背中を押してくれたように思う。

ソレイユが活動休止前、最後に歌った『MY STARWAY』には「がんばる約束」という歌詞が出てくる。明日からも頑張らなくてはならないけど、それは私だけではなく、いちごちゃんたちも同じ。いちごちゃんたちが頑張るよと約束してくれている。

いちごちゃんたちは自分の歩く道を決めて既に歩き出していて、その先でも「がんばる約束」をしてくれた。

この「がんばる約束」はいちごちゃんたちがいちごちゃんたち自身にしているのだと思う。誰かに向かっての「がんばれ」ではない。あくまで「がんばる」のは自分自身の決断によって行われるもの。

いつもセルフプロデュースで自分をどう表現するか、今ソレイユとしてどんなメッセージを届けたいかを主体的に考えてきた自立的で自律的なアイドルのいちごちゃんたちは、がんばる約束をしてそれを果たす姿を見せてくれている。

10年経って、あの頃既に社会人だった私にとっては、いちごちゃんたちが追いついてくれたように思うし、あの頃の少女たちとまた歩みを共にしてくれたのだとも思う。あの頃10歳だった子にとっては22歳のいちごちゃんたちはほんの少し先を歩くお姉さんなのかもしれない。

22歳のいちごちゃんたちの姿は今日ここまで来られた私たちに向けて、いま歩いているこの道の先なら大丈夫だと、いま頑張っている私たちを肯定し、その先へ進もうと言ってくれたような気がする。

卒業ライブを終えた後のいちごちゃんたちがそれぞれの道で悩みながらも「MY STARWAY」を聞いてお互いに「がんばる約束」をしたことを思いながら、自らを奮い立たせて毎日に挑んでいるのが伝わった。頑張って日々を過ごすのは私たちだけじゃない。一人ひとり人生があって精一杯生きている。この道はまだ続いていくし、大変なこともあるかもしれないけど、一緒に頑張ってくれるいちごちゃんたちがいれば、きっと大丈夫。

映画の終わり、そんな気持ちで明日からまた頑張ろう、と思えた。

いちごちゃんが「また会いに行きたいと思えるアイドルになりたい」と言っていたけど、たぶんそうなるための「はじまりの日々はもう迎えられている」と思うよ。と伝えたい。

 

以下、シーンごとの感想など

いちごちゃんたちが皆と集まっても仕事の話が出ないのはお互いが頑張っていることはもう分かっているからなのかな。「MY STARWAY」でがんばる約束をしているし、いつでもどんなことでも聞いてくれる仲間だから、どうしても悩んで相談したいときには話してくれると分かっているからあえて仕事の話題を出す必要がない。

鍋を囲みながらの会話で同じスターライト学園で共にアイカツをしてきた仲間の信頼関係を感じたシーンでもあった。

 

お酒を飲むいちごちゃんたちを見れる日が来ると思っていなかったけど、大人になるということを象徴するシーンでもあったし、10代だったいちごちゃんたちも成長していく、時間は止まらないことを感じさせてくれた。

とくに、セルフプロデュースを重んじるスターライト学園で、いちごちゃんたちは常に自分たちでアイデアを出し、大人にアドバイスを貰ったり、協力してもらったりしながら活動をしてきた。22歳のいちごちゃんは、ライブステージの構成を提案され、判断・決断をする側であり、スタッフの中にアイドル・星宮いちごに憧れてきた人がいることを認識していて、意識的にスタッフと距離を縮めて円滑に仕事が進めるようなコミュニケーションに努めていた。

お酒という分かりやすい部分だけでなく、仕事をする姿にも大人になっているところを感じて、これは今20歳くらいの当時少女だった子たちが更に10年後見返しても気づきの多い作品になるのではないかと思う。

 

正直、みんなで卒業コンサートやります!感動!という締め方もできたと思う。それこそ大スター宮いちごまつりのようにこれからもアイカツが続く予感を残しながら大団円での感動のフィナーレをやることもできたけど、この映画はそれをしなかった。

卒業しても、いちごちゃんたちも、あの頃いちごちゃんたちに憧れた少女たちも、人生は長く続いていくことを見せてくれたことで、「MY STARWAY」が地に足の着いた応援歌となって説得力を持ったと思う。

 

TVアニメ版で出ていたいちごちゃんの古参ヲタの男の子やユリカ様ファンの女の子がいたり、みやびちゃんやここねちゃんたちもいたしアイカツを楽しんでいた人ほど楽しめる内容になっていたのが良かった。

 

あおいちゃんは髪を切っても素敵だろうなと常々思っていたがまさか公式で見れるとは…。とても大人っぽくて素敵だった。

 

楽曲面では某作曲家の逮捕があったので、もしかしたら当初の予定から大幅な変更などあったのかもしれない。個人的にはMONACAも好きだがone trapの曲も好きだったのでそちらの曲も期待していたのだがMONACAのみだった様子。

アイカツは10周年。私の好きなアイカツスターズも10周年を迎えるときには映画をやってくれるのだろうか…。

今年買って良かったもの2022

年末なので「今年買って良かったもの」をまとめます。

 

マグネットクラスプ

ネックレスで一番手間なのが着脱だったので、今年はマンテルタイプのネックレスも買っていたのだが手持ちのネックレスを便利にするために購入。

アジャスター的に取り付ければマグネット部分を引っ張って着脱できる。金属アレルギーなのでサージカルステンレスのものを探して購入。

もう少し安くメルカリで売っているのを見つけて追加で購入した。

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ウールダスター

部屋に置いていたクイックルハンディが行方不明になったので購入。

そもそもクイックルハンディは見た目が可愛くないので部屋でも存在が浮いていたのだが、こちらはまず見た目が可愛い。

ウールなので洗って乾かせばまた使えるらしい。木の持ち手や革紐がかわいい。

空き瓶に挿してインテリアっぽくして置いている。

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15mmのヘアアイロン

昨年9月に抗がん剤治療が終了。今年の4月に伸びてきた髪を切って、ストパーをかけたものの、セットしようにもまだ髪が短すぎて一般的なヘアアイロンでは髪を挟めない。ということでサロニアの15mmを購入。

ベリーショートにちょうど良い幅でセットしやすくなった。

安いのでしょうがないが髪は傷みやすい。絹女からも同様のアイロンが出ているようなので高価にはなるけどそっちを買っても良かったかなと思っている。

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LIPPSベーススタイリング ヘアオイル(キンモクセイ

大好きなモーニング娘。加賀楓さんがウェブCMに出演したことをきっかけに知り、購入。美容院を展開しながらヘアケア商品も手掛けているLIPPSというブランドもこのウェブCMをきっかけに知った。

CMのために楽曲制作とMVまで作っていただき、ファンとしては感謝を伝えねばと思って購入したのだが、思っていた以上に製品として素晴らしかった。

ちなみに楽曲MVはこちら

www.youtube.com

曲はもちろん、ハロプロとは思えない)おしゃれなMVを製作していただき、ありがとうございます。ハロプロダンス学園メンバーによる「L!PP」というユニットとして製作されているが、歌唱力に定評のあるメンバーでもあるので見ごたえも聴きごたえもある。

本当にありがとうございます。

期間限定で発売されたキンモクセイの香りがとても爽やか。

毎年時期になるとキンモクセイの香りのハンドクリームや香水などが発売されるが、香りについては当たり外れも多いと感じている。その中でも、このヘアオイルはかなり当たりだと思っている。ショートヘアでも2~3プッシュつけると動くときにふんわり香って気分が良い。オイルといってもベタつかない軽いつけ心地。

少し前からショートパーマにしているので髪を濡らしてタオルドライした後、これをつければ濡れ感のあるセットが完了する。とても楽。

https://amzn.asia/d/442PTh7

メニコンフィット(コンタクトレンズの装着液)

ドライアイでコンタクト(とくにカラコン)を装着した瞬間から目がゴロゴロすることが多かったのだが、それが激減した。

ドライアイ用の目薬をさしてから、コンタクトにメニコンフィットを1滴垂らして装着するとゴロゴロすることがない。

ドライアイは変わらないのでしばらく時間が経ってから乾燥を感じることはあるが装着時のゴロゴロが減っただけでも嬉しい。

item.rakuten.co.jp

LOUER「ミスユーブラウン」

低含水(38%)のワンデーのカラコン。黒目が小さめなのがコンプレックスで、去年あたりからたまにカラコンを使っている。クリアレンズより乾きやすい気がして仕事では使っていない。

黒目が少し大きく見えるだけでかなり盛れるのだが、いかにもカラコン入れてます感が好きではなく、元の黒目に馴染むものを探していて、最近ハマっているのがこちら。

指原莉乃さんのデートトパーズも良いのだが、LOUERのミスユーブラウンもそれと並ぶナチュラルさ。同じLOUERのラブキャメルも割りと良い。

item.rakuten.co.jp

ワンタッチピアス

ピアスをしていないとピアスホールが爆速で肉に埋もれていく体質かつ金属アレルギー持ちなので、樹脂のピアスをしていたのだが日にちが経つと樹脂が劣化して臭いや汚れが気になったり、服を脱ぐときに吹っ飛んだりするという難点があった。

それがまるっとワンタッチピアスで解決した。

サージカルステンレスで金属アレルギーの心配もなく、キャッチなしのワンタッチピアスなので服を脱ぐときにキャッチが引っかかって吹っ飛ぶこともなくなった。

小さいので寝るときも邪魔にならないのでつけっぱなしで週に1回程度はずして洗っている。

item.rakuten.co.jp

水が切れるコップ

安いプラスチック製のコップで歯磨き後に口をゆすいだり、うがいをしたりしていたが水切りが悪く気づくと小さな黒カビがついていることも。

今年のアマゾンのブラックフライデーセールで安くなっていたので購入。水が切れるので今のところカビの心配はなし。

https://amzn.asia/d/5DfWQ84

吊るして使えるA4ポケット付きマルチ収納ケース

車のシート裏に付けるバックポケットが欲しかったので購入。

ウェットティッシュ、マスクの予備、エコバッグ、ゴミ袋、粘着クリーナーなどなどを入れている。

結構収納力もあって便利。

www.muji.com

すべらないハンガー

MAWAハンガー的なハンガー。MAWAハンガーはフックが回転しないのだがこちらは少し力は必要だが回転するので使いやすい。向きを考えずに服をかけてしまうのでこちらにして良かった。クリーニング屋でもらうハンガーを惰性で使っていたがこちらに変えたことでクローゼットもすっきりした。

item.rakuten.co.jp

 

加賀楓「Give me 愛」

大好きな加賀楓さんの卒業曲。

今までいろんなメンバーが歌ってきたものの、オリジナルの高橋愛さんのイメージが私の中では強かった一曲。それを一気に塗り替えられた。

これからこの曲を思い描くとき必ず加賀楓さんのあの凛々しい佇まいと歌声が蘇るのだと確信している。

music.apple.com

東京の高いところ巡り

東京の高いところ巡り

以前にも東京で高いとこツアーをしているのだが、先日の加賀楓さんの卒業コンサート後、1泊して高いところを巡ってきた。

以前の旅はこちら

ebimiso-champon.hateblo.jp

ebimiso-champon.hateblo.jp

 

 

渋谷スカイ(リベンジ)

前回、東京の高いとこツアーをしたときは雨天で屋外デッキに出られなかったのでリベンジ。渋谷スカイの展望の醍醐味はやはり展望デッキにある。ヘリポートのある屋上という意味では六本木ヒルズのスカイビューと同じだが、渋谷スカイは人工芝や飲食ができるソファースペースなどが用意されていてしっかり寛ぐことができる。

柵やフェンスではなくガラスで仕切られているので、コーナー部分は外の景色と一体となった写真が撮れると人気の撮影スポットとなっている。1人だったので撮影しなかったがいつか撮りに行きたい…。

屋内展望デッキで軽く昼食を撮ったが日差しがしっかり入ってきて眩しかった…。前回行った際は夏だったものの雨の日の午前中だったのでさほど気にならなかったが、夏の晴れた昼間はかなり暑くなりそう。夏の屋外デッキの直射日光も凄まじいのでは。

スカイツリー

前日のコンサートの後、加賀楓さんが日本一大好きだという思いが溢れて一番高いところまで登った。日曜日だったものの開業時間と共に入ったのであまり混雑もしていなかった。目線がグンと上がり、渋谷スカイとは比べ物にならないほどの高さ。大きなビル群すらミニチュアのように見える。この高さの夜景も気になるので今度は夜景を目当てに行ってみたい。

出かけると毎度スケジュールや時間を気にしてしまいがちなので、もう後は何も予定はないという気持ちで行くのが性に合っていると気が付いた。つまり夜しかない。どうせ行くならと色々行きたいところをピックアップして予定を組み立てるものの、次の予定に間に合うかが気になって、今いる場所を全力で楽しめないのは非常にもったいないなと。性格は変えられないので予定の組み立て方を変えて一番楽しみたいところを最後に持ってくるか、行程を減らすようにしたい。

利用した施設や宿など

すみだ水族館

スカイツリーとのセット券で買うと少し安くなるということで行ってみた。東京は水族館が多いので1つくらい行ってみたかったというのもある。

写真はチンアナゴ

泳ぎ回る魚たちを上手に撮影できなかった。

水族館は鳥羽水族館名古屋港水族館海遊館にも行ったことがあるが、すみだ水族館はそれらに比べて比較的コンパクトな水族館になる。目玉は複雑な人間関係?があるらしいペンギンたち。

小さな生き物やクラゲ、ペンギンなどがメインでクジラやイルカ、サメなどの大きな生き物はあまりいないので迫力には欠ける。半日あれば十分見て回れる広さ。年パスが2回来れば元が取れる金額になっていたので近隣に住んでいたら年パスを買って暇つぶしに何度も来ていたかもしれない。

私と同じく東海地方から来たと思われる親子がお土産屋で「それ絶対に名古屋港水族館にもあるから買わない」だのというやり取りをしていた。

Bunkamuraミュージアム/マリー・クワント展

マリー・クワント展がやっているとのことでBunkamuraへ。今にも通じるミニマルで洗練されたデザインはもちろんだが、ビジネスやマーケティング手法、フェミニズムや女性解放の視点も持ち合わせていたブランドということを知った。

男性のものとされてきたデザインを取り入れたファッションの提案がただ斬新さを求めいていたのではなく、そこにあえて男性的とされてきた職業の名前を冠して風刺を込めるなど、ファッションから女性解放運動を後押しするような思いを込めていたのは知らなかった。ブランドのストーリーを知るとまたそのブランドの商品を見る目が変わる。

お茶の水ホテル 昇龍館

宿は「お茶の水ホテル 昇龍館」を利用

www.familyhotel.jp

武道館からは徒歩15~20分くらい。コンサート後の九段下駅はかなりの混雑だったので武道館からホテルまで歩いてみたが公演後の興奮もあってか別に苦にはならなかった。

御茶ノ水駅や神保町駅小川町駅が最寄り駅となる。

和室の禁煙シングルで4畳半というかなりこじんまりとした部屋を利用したが風呂は大浴場を利用できるし、清潔感もあって寝るだけなら全く問題ない。朝食が無料なのもありがたい。卵をオムレツかスクランブルエッグかゆで卵のどれかから選べる。

大浴場は夜9時半~10時半頃に清掃タイムが入るので注意。武道館でのコンサート後に食事をして風呂に入ろうと思うとこの時間にかち合う可能性が高いので清掃時間を考慮しておくと良いかもしれない。また、大浴場といっても最大4~5人程度の利用を想定している広さなので注意が必要。浴場の外に本や漫画が置いてある場所があるので空くまで時間はつぶせる。ドライヤーや綿棒等は大浴場にもあり。翌朝まで大浴場は開いているのでいっそ朝入るのもあり。

設備に古さを感じる部分もあったが、個人的には安くて狭いカプセルホテルを使うならもう少しお金を出してこのホテルを利用したい。狭くても良いが荷物を広げたい、鍵がかかる状態でいたい、とか考えてしまうので固有スペースの広いカプセルホテルとかがあればなあと思う。

民宿とかゲストハウスとか気にはなるんだけども、パーソナルスペースを確保できるかが気になってしまう。

 

以上が今回の東京旅行の記録

加賀楓さんの卒業コンサートに行きました

モーニング娘。'22 25th ANNIVERSARY CONCERT TOUR 〜SINGIN' TO THE BEAT〜加賀楓卒業スペシャ

 

に行ってきました。

初めての武道館でした。

 

 

まずは私と加賀楓さんの思い出を語る。

加賀楓さんとの出会い

たまたまYou Tubeモーニング娘。'17「BRAND NEW MORNING」のMVがオススメされ、加賀楓さんの存在を知ったのが2019年の春頃だったか。

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そもそも黄金期世代なので『なかよし』で連載していた『娘。物語』を愛読しており、黄金期以後もなんとなく追っていた。

正直に言うと、本当は大好きで、大好きなままハロプロを追いかけ続けたかったが、周囲がアイドルファンを卒業し、アーティスト歌手やバンドに変遷していく中で、素直に好きを貫けなかった。当時の自分は今以上に周りに影響されやすく、顔色をうかがう子どもだった。

それでも大学生以後はイナズマイレブンを通してBerryz工房を聞くなど折に触れてハロプロには親しんでいたし、大人になってから'14あたりのEDM系の曲を知り、その時期の曲のMVは時折見ていた。好きな曲を聞きに行く程度で、そこまでしっかり新曲やメンバーの加入とかは追っていなかった。ただ「こぶしファクトリー」という絶妙なネーミングのグループがあることは知っていた。

2019年春頃、juice=juiceの『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』が話題になっていた。たまにモーニング娘。のMVを見ていたからかYou Tubeのオススメで表示され、そこから名前だけ聞いたことがある程度の存在だったjuice=juiceを改めて認知し、この曲も大好きになる。自分の年齢的にもメッセージがとても刺さった。

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ここから改めてハロプロが気になりだし、いくつかMVを見ている中でおすすめで表示されたのが先述の「BRAND NEW MORING」。

真っ赤な衣装で、まだあどけないショートヘアの女の子が真剣な眼差しで声を張って一生懸命歌っている姿に目を奪われた。それが加賀楓さん。加賀楓さんの存在を知ってから、気づけばwikipediaを読み漁り、ブログをチェックしに行き、ハロステやアプカミなど公式のYou Tube番組での彼女のパフォーマンスをチェックするように。

歌やダンスはもちろん、長い研修期間でも真面目にコツコツ努力して、デビューを掴んだそのストーリー性や、彼女の直向きさ、ファンやメンバー、ブログの文章、パフォーマンスに対する誠実さなど、人柄の部分でどんどん惹かれていった。ハロステで公開されている加入サプライズ動画は何度見ても号泣してしまう。

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そして、2019年夏、初めてハロコンハロープロジェクト全体のコンサート)に行き、ハロプロのパフォーマンスを直に浴びて黄金期に夢中になっていた頃の自分が一気に蘇る。ここでも加賀さんを目で追ってしまい、秋の単独ツアーに行く決心をする。

2019年秋ツアー当時はまだFCに入っておらず、一般で取れず落胆していたところ、同行者を募集していた方にお声がけいただき、ファミリー席で初参加。15期メンバーの初ツアーでもあった。

このコンサートで完全にかえでぃー推しとなりFCに加入。

そして今に至る。

 

卒コンの感想

かえでぃー特有のなめらかで継ぎ目のない、でもメリハリのあるダンス

歩くだけでもダンスしているかのような美しくリズミカルな動き

伸びやかな高音とユニゾンでも目立つ声量のある歌声

コンサートやイベントの度に過去のパフォーマンスを必ず越えてくる彼女は期待を裏切ることなく、卒コンでも過去最高のパフォーマンスを見せてくれた。

 

欲を言えば「BRAND NEW MORNING」はフル尺でやって欲しかったし、

「Mr.Moonlight~愛のビックバンド~」をセンターで歌ってほしかった。

25周年という節目のコンサートでもあるし、卒業シングルの「swing swing paradise」は、かえでぃーのためのMr.Moonringhtとも言えるのでその点は飲み込もうと思う。

いつかモーニング娘。のイベントにゲスト参加して披露してくれたらと淡い期待を抱いておく。

 

卒業の衣装は想像通りだった。私服も衣装もブラックでまとめて、クールな印象のものをいつも好んでいたのでパンツスタイルだろうと思っていた。

最後に彼女が歌ったのは「Give me 愛」

これまでソロフェスやバースデーイベント等、ここぞという場所では、憧れである鞘師里保さんを意識した曲を歌ってきた中、未だ歌ってこなかった曲。いつかかえでぃーのソロで聴きたいと思っていたが、それがないまま卒業の日を迎え、諦めていたところ、まさか卒業のタイミングで聞けるとは思わなかった。(実を言うとグッズ購入で公演前に訪れた際、会場外にGive me 愛の音源が漏れ聞こえていたのだがメドレーの中で歌うのだろうと思っていた。)

 

 

得意なダンスを披露できるからという選曲理由も彼女らしいが、会場で「Give me 愛」の出だしの歌詞を聞いた瞬間に、事前のブログに合った「パフォーマンスにすべてを込める」という彼女の言葉が思い出された。

愛してるのにこの気持ち伝わってるかな

気が強そうに 言われるけど 傷つきやすい 性格 隠してる

愛には 愛しか 答えが返せない

誰かのための言葉や行動は素直にできるのに、自分の素直な愛情を伝えるには少しシャイで、照れ屋な一面もあるかえでぃーが、卒業発表の際のコメントにあった「ファンに恩返しがしたい」、という気持ちを、この曲の歌詞に込めてくれたのではないかと感じた。それがヒシヒシと伝わるパフォーマンスだった。

これまで卒業していったメンバーのコンサートで、涙を浮かべていたかえでぃーが、自分の卒業コンサートでは泣かないように、最後までこらえていたところも彼女の人柄が現れていた。それでもホロリと涙が溢れるところも、最後の最後には笑顔で挨拶して終えるところも。

涙と感動の卒業を演出するよりも、最後までモーニング娘。のメンバーとしてステージを全うし、ファンに恩返しをするという彼女の意志や使命を貫いたのだと思う。

そうした直向きさ、誠実さを感じる度に、「応援して良かった」という気持ちで満たされていた。それどころか私の応援の熱量に対し、かえでぃーがパフォーマンスで伝えてくてれる思いやパフォーマンスに対する実直さがあまりにも上回りすぎていると感じて、いつももっと応援させてくれという気持ちになっていた。

加賀温泉郷」のムーブメントも、ファンの「どうにかもっと応援したい」という気持ちが具現化した部分があると思っている。

 

加賀温泉郷の思い出

余談だが、加賀温泉はかえでぃーが観光大使になってから一度宿泊している。これまで泊まった温泉地では旅行という非日常のためか、どうしても寝付きが悪くなったり、重たい荷物で翌日まで肩こりが残ったりすることがあったのだが、加賀温泉ではまったくそんなことがなく、一緒に行った友人も旅行先でこんなに気持ちよく寝れたのは初めてだと起き抜けに話していたのをよく覚えている。

また改めて訪れたい温泉地の一つである。

 

かえでぃー以外についての感想

かえでぃー以外について話すと、このコンサートではとくに15期の躍進を感じた。歌もダンスも成長著しく目が離せない。

16期のらいりーは、楽しくてしょうがない、というのが非常に伝わってきた。牧野真莉愛さんのような全力ジャンプをしてみせたり、楽しいという気持ちが抑えきれないといった表情が何度も目に止まった。これからどんなアイドルになっていくのか楽しみでもある。

そして石田亜佑美さんは、本当に後輩への思いに溢れた人だな、というのを改めて感じた。ダンス学園で他のグループの後輩と密接に関わる機会が増えたのもあるのかもしれないが、後輩の教育や成長に積極的に携わり、良い部分を引き出すために、ときには道化役も買って出る。今回の卒業コンサートでもかえでぃーとの身長差からくる足の長さの違いで笑いを取りながら、かえでぃーの生まれ持ったものに胡座をかかずに努力を怠らない姿勢について語ってくれた。

ここ数年、石田さんが誰かの良いところを見つけて、伸ばし、みんなに伝えようとしてくれる誠実な姿を何度も見てきた。石田亜佑美さんを一番に推していなくても、石田さんに高い信頼を置き始めている自分がいる。彼女が一緒なら私の好きなアイドルも安心して活動ができるだろうと思うし、実際かえでぃーは「石田さんと一緒に加賀温泉に行きたい」と言い、それを叶えて1つの仕事につながった。

仕事や他者へ誠実に向き合うことで信頼を得て、次につなげてきたのは加賀楓さんも石田亜佑美さんも共通している。私の大好きなかえでぃーの素敵な一面を沢山引き出してくださった石田さんにはとても感謝している。

15期メンバーも最後のコメントで教育係という関係を通して沢山の愛ある言葉とエールをもらったと、涙ながらにかえでぃーの人柄が伝わるエピソードを話してくれた。

 

かえでぃー本人のパフォーマンスやブログの文章だけでなく、他のメンバーからの思い出話やエピソードで「かえでぃーを応援して良かった」と感じることができるのは、かえでぃーが誰に対しても誠実だったことの証でもあると思っているし、それを言葉にして伝えてくれた他のメンバーの皆さんにも感謝しかない。

しばらくはかえでぃーロスで悲しみに暮れるだろうが、来年にはかえでぃーを思いながらも現メンバーを応援していきたい。

 

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加賀楓さん、沢山の幸せな思い出をありがとう

これからも加賀さんの幸せな未来を願っています

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」感想

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07N

Amazon.co.jp: 志乃ちゃんは自分の名前が言えないを観る | Prime Video

CHWXJJ/ref=atv_dp_share_cu_r

 

アマプラのまもなく見放題終了一覧の中にあり、吃音の症状のある女子高校生の話ということで以前話題になっていたのを思い出して視聴。

 

蒔田彩珠の演じる加代ちゃんの毛量が多く、ぶわっと広がってしまう髪のシルエットが自分の中高生時代を思い出させる。鍵っ子らしいところや、髪が広がるけれどもストパーはさせてもらえないんだろうなというところも。(自宅が公営住宅のようなアパートでそんなに裕福ではなさそうな雰囲気が伝わる)

主人公の志乃ちゃんには吃音があるように、加代ちゃんは音楽が好きだが音痴という欠点がある。

 

吃音に限らず少し変わった特徴を持つ子を衆目の前で馬鹿にしたり、おちょくるのは男子の菊池。このキャラクター、非常に既視感が強い。

目立ちたがりというか、友だちに囲まれたくて「面白い人」になろうと必死になるものの空回りして結局距離を取られるタイプ。本人も作中で言っているが「空気が読めない」。それによって結果いつも1人になってしまうため、さらに友だちを欲してひょうきんなキャラクターを演じるなど空回りの堂々巡り。友人というのは共感を積み重ねて親密な関係を築いていくものだが、彼の発言と行動には全く共感を得られないので友人をなくしていく。

自分の高校時代にも同様の男子がおり、これは友人をなくしていくタイプだなと思っていたら案の定、後半になってくるとみんな引いた目で彼を見ている。

 

この作品、志乃ちゃんがうまく喋れないことについて、「吃音」とか「吃り」とかいう症状名や病名が出てこない。作品内の加代ちゃんたちのように見る側も「志乃ちゃんは吃音なんだろうな」と勝手に推し量りながら見ることになる。

加代ちゃんの音痴や菊池の空気の読めなさも実際の歌や教室内の空気でヒシヒシと伝わってくるが、この2人は元同級生から「歌が下手」と指摘されたり、自分で「空気が読めない」と言葉にしたりしている。

 

周囲の無理解と善意の押し付け

まずは教師の理解のなさ。

「名前ぐらいは言えるようになろう」という善意100%で発せられる悪質な言葉。

高校生にもなって名前が言えない状況にある彼女が何も努力してこなかったと思っているのだろうか。「先生も手伝うから頑張ろう」って、それで治るのなら志乃ちゃんはとっくに名前を言えるようになっている。

 

小学生の頃、今思えば場面緘黙のような症状があったのだろうなと思う子がいた。色白で緊張するとすぐ顔が真っ赤になる子だったが仲の良い子とはハキハキと喋ったり大きな声も出せるのに、みんなの前で話す場になると全く喋れない。10分以上沈黙が流れたこともあった。

日直としてみんなの前で「いただきます」の号令をかけることができずに固まっていたのをよく覚えている。このとき、担任の教師は「彼が『いただきます』を言えるまで給食はたべられません」と言い放ち、私たちは机の上の給食を眺めながらお預け状態となった。彼は顔を真赤にして俯き、そのまま10分ほど経った頃に小さな声で早口で「いただきます」と言ってようやく給食の時間となった。担任の教師が彼のこうした症状を暗に「言わないでいたらそれで済むと思っている」というような、怠慢や逃避として扱い、さして知識もなく、周囲のできごとを何でも吸収していく年頃であった私たちも当然のようにそうした価値観を内面化し、発表しないで済ませようとしている、と彼を白い目で見るようになっていった。教師の態度は児童・生徒に伝播するということを我が身をもって体験しているので教師は自身の発言態度に気を配って欲しいものである。

 

志乃の母親は娘の吃音を心配してはいるのだが、催眠術による治療を勧める。数少ない登場シーンの中でこの親の危うさを的確に表現していると思う。この手の親が子どもの健康不安を理由に新興宗教にのめり込むのだろうか。こうした態度が「治さなくてはならない」という強迫観念や症状の悪化につながると思うのだが…。

 

狭い世界の相互依存

加代ちゃんの提案した筆談は吃音の解決にはならないが、志乃ちゃんが安心してコミュニケーションを取れる状況を作ることができた。また、加代ちゃんはぶっきらぼうに見えて志乃ちゃんが言い終わるのをちゃんと待ってくれる。一人ぼっちだった加代ちゃんにとっても自分に興味を持ち、なんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれる志乃ちゃんが新鮮だったのだろうか。

加代ちゃんの音痴を笑ってしまい、散々自分も笑われてきたのに同じことを加代ちゃんにしてしまったと必死に謝罪する志乃ちゃんに加代ちゃんは「言い訳ができて良いよね」と返す。

吃音がない加代ちゃんは音痴に対する言い訳ができない。吃音のある志乃ちゃんは「ありがとう」や「ごめん」が言えなくても吃音だからという言い訳が可能だという吃音の違う側面を意識させられる。

ひとりぼっちだった志乃ちゃんと加代ちゃんはこうした他者との関わりを通して自身の新たな側面に気づいていく。

ここから志乃ちゃんがカラオケで歌うことで「しのかよ」というデュオが結成されるのだが、志乃ちゃんがめちゃくちゃ歌がうまいわけではないところが絶妙。

 

加代ちゃんにとっては自分のやりたいことを受け止め、付き合ってくれる人がいる。

志乃ちゃんにとっては吃音を気にせずにいられる人がいる。

 

互いに今まで存在しなかったものを手に入れる初めての体験であり、そこに没入していく。二人だけの時間を共有していくことで1つの世界をつくり、そこに依存していっているのだが、青春の1ページのようにキラキラと路上ライブのシーンが描かれる。青春というのは狭い範囲の人間関係での一時的な没入感のようなものかもしれない。

しのかよの2人には他に友達がいないため、2人だけの世界は、2人だけの誰にも邪魔されない、優しい世界でもあった。

しかしライブに菊池が現れることで、2人だけの優しい世界ではなくなる。

 

吃音のある志乃ちゃんにとって、唯一安心して喋れるのは加代ちゃんだけであり、菊池が入ってきた場合、コミュニケーションは吃音のない加代ちゃんと菊池の2人が中心となる。3人で会話すると1人が置いてきぼりになりがちなのは健常者でもあるあるの状況だ。

 

他者を通して自分を知り、受け入れる

2人だけの世界は永遠に続かない。

菊池が空気が読めずとも積極的に他者とコミュニケーションを取りに行く姿勢というのは、「空気が読めない」というコンプレックスを認め、それを克服するための行動・チャレンジをしているということでもある。

菊池のコンプレックスに対するそうした行動によって、「しのかよ」の2人の世界を崩されようとするときに、「吃音の自分が安心して過ごせる環境を壊してくれるな」と吃音を言い訳にした否定をすることが志乃ちゃんにはできなくなっている。

言えばたぶん菊池は引き下がってくれて、しのかよは継続できるが菊池に1人でい続けることを強制することになる。また、加代ちゃんと2人だけの世界は永遠には続かないだろうことも分かる。

吃音を気にせずにいられる環境を手に入れても、すぐに瓦解する可能性に常に囚われ怯え続けるのなら、もういっそ1人でいたい。というのが志乃ちゃんが加代ちゃんに告げた「こんなに苦しいなら1人が良い」ではないかと考えた。

 

しのかよが解散状態となった後、

加代ちゃんは自分で曲を作り、文化祭で1人で歌い上げ、音痴である自分を受け入れる。

志乃ちゃんは涙と鼻水を垂らしながら、必死に自分の抱えてきた思いを曝け出し、吃音である自分を受け入れ、自分の名前を言う。

 

この後、志乃ちゃんと加代ちゃん、菊池でバンドを組んでやり直すのかと思いきや、3人とも1人で過ごしている。

ずっとうつむいて1人だった志乃ちゃんに声をかけるクラスメイトがいる。ジュースをもらい、志乃ちゃんは吃りながらも頑張って「ありがとう」を伝える。

志乃ちゃんと加代ちゃんがふとしたことから仲良くなったように、そうした機会はある時、急に訪れるもの。

3人がまた共に時間を過ごすようになるのかもしれないし、コンプレックスを抱えながら他者と関わったり、距離を取ったりしながら前に進んでいくのだろう。