経営学/小倉昌男

小倉昌男経営学

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上司に渡されて読まないわけにもいかず、いやいやながらようやく読破したので記録。

ヤマト運輸の創業者の息子で宅急便事業を始めた小倉昌男氏が経営から一線を退いた後に書いた一冊。

初版が1999年、読み始めに唯一の著書みたいな触れ込みだったのだが調べたところ、この本が初の自著ではあったようだが、他にもたくさん著作があり、もしやこの一冊が人気になって味をしめたか?と思った(実際どうなのかは知らない)。

 

クロネコヤマトの宅急便でおなじみの宅急便事業を始めるに至るまではもちろん、始めてからの苦労話などもあるが、役人、官僚、政治家への愚痴が多い。政治家との関係は絶対に持たず、パー券購入もせず、言い分が通らないなら法に則って手続きし、司法に判断を委ねるやり方は清々しいし本来あるべき姿を感じさせる。「高い倫理観」を持って経営すべしという小倉氏の信念がそのまま出ている部分だと思う。

自分の今の会社でも政治家のパー券購入とかはあるようだが、こちらに有益な政策提言をしてもらうために金を渡すようなものなので、金による貸し借りの関係であるし、禍根を残すというか、切りにくい縁を作ってしまうという点ではやはり政治家と懇意にするのはあまり良いとは思えない。

 

内容については、宅急便事業に関連する部分と組織論についての部分が大半を占める。あとは役人に対する愚痴。個人的に気になった部分について触れておく。

根底にある女性蔑視

1999年初版ということで20年以上前のものにケチをつけるのも…と思うが旧時代的というか、女性に対する目線はお察しである。

帯に「世代を超えて読み継がれる不朽のロングセラー」と謳い、2021年には45刷を発行するなら、差別的な部分はあるが著者が亡くなっていて確認もできないのでそのままにしていますよ、という注釈を入れても良いのではと感じた。たしか氷室冴子の『いっぱしの女』にはそうした注が入っていたと思う。

一般の個人、ことに家庭の婦人は、都市の所在地など日本の地理をよく知らないのは普通であるから

とか梱包について

主婦の方々に知識や資材があることの方が少ないだろうから

とか(いずれもP98)、主婦というか女性は無知で浅慮というバイアスがゴリッゴリに出ていて笑ってしまった。

結果的に顧客の中には地理をよく知らない、梱包の知識や資材がない人がいるということを前提としたサービスになったので普及したが根底に女性を見下した価値観があったというのがわかる。ただこの成功がさらに女性蔑視的なバイアスを強化したのかもしれない。

女性を増やそうと思った理由。それは、結婚とか育児などの理由で勤務年数が短い傾向があるのと、人手不足の折から優秀な人材を採用したいからである。社員種別を多様化したのは、いざというときに雇用を縮小しやすいことを狙っている。いうなれば企業の”安全ネット”という考えである。(p201)

ここでは社員層の多様化、とくに女性の雇用増加を図った理由を述べているが、女性はライフイベントによって早期退職することが多く、短期間で入れ替わる傾向にある。そうすると社員数が急激に膨れ上がることはなく、少しずつ増えていくことになるため、組織の管理や育成がしやすい。また、不況などにより雇用を縮小したい場合にも採用を止めて女性社員がライフイベントで退職していくのを待っていれば良く、リストラや賃金カットなど世間体の悪い方法を取らなくて良い。女性社員の一人ひとりの人生やキャリアプランなど考えていない、男性社員を大切に育成する環境を整えるのに都合が良いパーツという感覚を隠しもしていないのがよく分かる。これは社員層の多様化ではなく、男性社員育成のための女性社員の奴隷的な利用である。これで鼻高々と多様性を語るとはへそで茶が沸きまくってしまう。

フォローをしておくと、全く女性社員の待遇改善に手を付けていないわけではない。

たとえば、女性社員は――最近は大分改善されたが――、お茶汲みとか書類のコピー作りとか雑用が多く、本来の仕事にかかった時間の分析がうまくできなかったりする。(p269)

一応は女性社員は男性社員のお手伝いさんのための存在ではないという認識はあり、会社として改善のための行動はとっていたようなので記しておく。

 

サービス内容に話を戻すが、主婦に日常的に利用されるサービスを目指していたことは伺えるが、とにかく主婦は無知であることを前提にしている様子が随所にあらわれている。

運送に関する知識のない主婦は、大袈裟にいうと荷物を運送屋に頼むのに恐怖感を持っているからである。こんな荷作りでは駄目だと叱られはしないか。(p105)

家庭の主婦は、荷作りをやかましく言うとその運送会社を敬遠する(p107)

なぜ恐怖感を持ち敬遠するかと言うと、是正されてきてはいるが、男性が女性を教育から排除して無知な生き物となるようにしてきた背景があり、結果無知な生き物と決めつけてすぐに見下して叱って優越感を誇ってきたからだろう。そうした振る舞いを女性たちは何度も受けてきたわけである。自分たちの振る舞いと価値観を見つめ直してくれ。

p138でも麻雀を例えに出しているがその感覚がもう経営層は男だけの組織だという空気をビンビンに伝えてくれている。

大切なメッセージの伝え方

『安全第一、営業第二』という標語を作った話(p145)があったが、一番大切なことを伝えるために、あえて第二を作って強調するという手法は活かしたいと感じた。安全が大切だと伝えてもどうしても損益が重視されがちなので、比較対象をつくることで現場により大切なものを明確に伝えることができるように感じる。

評価の仕方

サービスの質を測るためにはやはり定量評価が重要という話は弊社でも安全衛生関連や人事評価の部分でよくしている内容であったし、悪い情報こそが重要というのもそう。悪い部分を改善するために現状のレベルが分かるものを作っているので悪い結果が出たらそれは改善する部分を知ることができたという有益情報なのである。という内容については普遍的な価値観で20年以上前の内容であっても変わらないなと思った。

人事評価につい、後から触れる組織論にも通じる部分があるが、分業制を敷くと社員が会社の業務の歯車となっていて、個別の評価が難しい。自律的な行動をしている社員を評価しようにもその自律的な行動が可視化されなくてはならない。

しかし、その方法論になると、たいへん難しいことに気がつく。日本では、仕事が社員個人に直接結びつくことが少なく、集団で仕事をこなしているからである。

人事考課を正しくやるために実績評価をしようと思うと、まず各社員ごとに、やっている職務の分析から手をつけなければならない。それが難しいのである。(p269)

トイレットペーパーやごみ袋の残数の確認など細々とした家事を「名もなき家事」という言葉で表現することがあるが、仕事においてもそうした「名もなき業務」はあるし、その可視化がされなければ評価もされない。実力主義で評価をしようにも他者の協力や前任者の下準備のおかげであることも多く、どこで割り切って評価をするのかが難しい。

組織論について

そもそもこの本は上司から組織論の部分がかなり今我々がやっていること、話していることに通じるから読んでみてと渡されていたので第9章でようやくこの話にたどり着いた。

企業を顧客とする運送ではほぼ毎日、荷主や上司の指示で同じところへ同じものを届ける業務になるが、個人宅を顧客とする宅配になると出荷状況は毎日変わる。顧客と関わるのもドライバーがメインとなるため、出荷状況についても営業についてもドライバーが自律的に行動することが結果として求められた。

昨今はビジョナリー経営とか理念経営とかがよく言われるが、小倉氏は全社員で同じ経営目的を共有して達成のために各個人が自律的に考えて行動する経営のあり方を「全員経営」と呼称している。ゴールを共有したらそこまでの道のり(手段)を各々が責任をもって行動するということなので今で言う理念経営と言って差し支えないと思う。

日本の会社は分業制が多く、上層部がゴールも道のりも決定し、その中の一部だけを与えられて黙々とこなすが、その場合、自分の仕事の意義(社会や社内での有意性、有益性等)や現在地からゴールまでの全体像や自分の仕事と他の仕事との繋がりが理解できていないとモチベーションは保てない。そして多くの企業がそこで苦労をしている。

「全員経営」では各々が自律して経営目的の達成のために行動することが求められるが、宅配業という業態が、ゴールまでの道のりや仕事の意義の発見を促す仕組み(手段)にもつながったのだと思う。

 

業務に貴賤をつけない

以前上司が「俺たちが営業して仕事を取ってくるおかげで毎日仕事ができてるんだ」という話をしたことがあって、その時に(いや、取ってきた仕事をきちんとこなしてくれる人がいるから営業できるんだろ、持ちつ持たれつだろ)と思いつつ聞き流したことがあった。

小倉氏は仕事の価値や評価について学生野球に例えて、以下のように語っている。

レギュラー選手だけに日が当たるのではなく、陰でグラウンド整備や球拾いの仕事を、下級生を指導してやっている上級生にも、やり甲斐を感じさせる制度を整備することを忘れてはならない。(p186)

つまるところ、どの仕事にも貴賤をつけず、価値を見出し評価をするということだが、自律的な行動は目立つものばかりではない。陰で掃除や環境美化に気を配り、安全に気持ちよく作業する環境を作ってくれているのなら、それは社内のインフラ整備とも言い換えることができ、非常に価値ある仕事だ。自律的に行動しても評価されないのであればモチベーションが保たれないし、自律心も損なわれていく。会社への帰属意識、いわゆるエンゲージメントに影響する問題だと考える。

誰一人取りこぼしたくないというのが私が仕事をする上での信条だが、目立たない活躍こそ掬い上げて称賛するというのは通ずる部分だなあと思い至った。

別に働くことは生き甲斐ではないのでは…

これまた価値観の違いを感じる部分でもあったが

日本人にとって働くということは、生き甲斐である。収入を得るために好きではない仕事をいやいやする場合もあるだろう。そんなときは、労働が苦役に感じられるだろう。でも大方の日本人は、働くことに生き甲斐を感じている人が多いと思う。(p188)

んなこたーない。

経営者の立場にもなると仕事から逃れられないので勝手に生き甲斐になるだろうし、仕事が生き甲斐だと思えるから経営者になっている部分もあるだろうし、そうせざるを得ないことも多いのだろうけど。何が生き甲斐かは人それぞれで趣味や余暇の充実のために稼ぐことが目的の仕事でしかない人もいる。それでも苦役とならないようにと仕事内容や待遇を考えて就職先を選んではいると思うが。

働くことが生き甲斐という人もいるだろうけど、大方の人がそうだと思ってしまうのは視野が狭いし、ビジネスの世界にしか自分の居場所を感じられないだけなのではと思ってしまう。執筆当時は現代ほど人の生き方、過ごし方、意見が発信されたり可視化される状況ではなかったと思うのでこうした感覚は一般的だったのかもしれない。

高い倫理観

序盤でかなり小倉氏の女性蔑視な価値観について触れておいてここで「高い倫理観」と言われても鼻で笑ってしまうかもしれないが、理論として納得するところなので触れる。

経営者として、論理的思考と高い倫理観が必要不可欠であると小倉氏は述べている。人権意識については時代もあって薄弱と言わざるを得ないが、政治家や権力者との距離の保ち方や遵法精神の部分においては一貫性があり、小倉氏なりの倫理観で行動していると感じる。

企業はそもそも社会的存在であり、社員の生活はもちろん消費者の生活や地域経済を支えるものでもあり、当然ながら社会を構成する一員で企業規模が大きくなればその役割も大きくなる。社会のあり方、求められるものとその風向きを読み取っていかなければならないし、その判断の要は論理的思考と倫理観である。

私が仕事をする上で誰かを取りこぼしてしまわないように、と考えながら制度設計・制度運用をしたいと考えているのも私なりの倫理観だと思っている。

 

ふふふと思ったところ

『世間では、とかくお上の言うことを、間違っていても無理だと思っていても仕方がないと受け入れる傾向がある。民間のそういう態度が役人を間違った態度に導いてしまうのである。』(p168)

とかくお上の言うことを内面化して受け入れる従順な国民ばっかになったよな、と思うしネトウヨなんかは仕方がないどころか目閉じて絶対正しいって思いこんでくれるから都合の良い存在だよなと思いながら読んでしまった。

 

以上、感想でした。